1. 意味の解説
「人があまりに清廉潔白(清く正しすぎること)で厳格すぎると、かえって人に親しまれず、仲間や部下が離れていってしまう」 ということの例えです。
- 直訳的な意味: 水があまりにも綺麗すぎると、魚のエサとなるプランクトンや隠れ場所がなくなり、魚は生息できない。
- 転じた意味: 人間関係や社会において、多少の「濁り(寛容さや余裕)」がないと、人は居心地が悪くて定着しない。
また、「批判や追求ばかりしていると、誰もついてこない」 という戒めの意味でも使われます。
2. 出典
中国の歴史書『漢書(かんじょ)』にある「東方朔伝(とうほうさくでん)」が出典です。
原文: 「水至って清ければ則ち魚無く、人至って察なれば則ち徒(と)無し」 読み: 水至って清ければすなわち魚なく、人至って察(さつ)なればすなわち徒(と)なし
後半の「人至って察なれば〜」は、「人があまりに細かく詮索しすぎると、仲間(徒)がいなくなる」という意味です。
3. 出典となった出来事
この言葉は、漢の時代の政治家である東方朔(とうほうさく)が、同僚に対して忠告した際のセリフに由来します。
【背景】 漢の武帝の時代、東方朔(とうほうさく)という非常にユーモラスで才気あふれる人物がいました。彼は宮廷でうまく立ち回っていましたが、一方で同僚たちは、武帝の側近たちの不正や贅沢を厳しく批判し、糾弾していました。
【出来事】 東方朔は、正義感から厳しく他人を批判する同僚たちに対し、こう諭しました。 「あまりに正しさを追求しすぎたり、他人の細かい欠点を突いたりしてはいけない。水が綺麗すぎると魚が棲めないのと同じで、あまりに潔癖すぎると味方がいなくなって孤立してしまうぞ。もう少し大らかに構えるべきだ」
つまり、政治の世界を生き抜くための処世術として語られた言葉なのです。
4. ビジネスでの利用の仕方
ビジネスシーンでは、「リーダーシップ」や「マネジメント」、あるいは**「交渉」**の場面で、バランス感覚の重要性を説く際によく使われます。
使い方のポイント
正論やルール遵守はもちろん大切ですが、それを徹底しすぎて**「融通が利かない」「ギスギスした」状態**になっている時に、現状を打破するアドバイスとして使います。
具体的な使用例
① 部下への指導が厳しすぎるマネージャーに対して
「君の指摘はいつも正しいけれど、あまり細かく詰めすぎると部下が萎縮してしまうよ。**『水清ければ魚すまず』**と言うだろう? 多少の失敗は目をつぶって、彼らが働きやすい環境を作るのも大切だよ。」
② コンプライアンスやルール作りが厳格すぎて、業務が回らない時
「リスク管理は重要ですが、手続きが煩雑すぎて現場が疲弊しています。**『水清ければ魚すまず』**とならないよう、実運用に合わせた柔軟なルールの見直しを提案します。」
③ 完璧主義で自分を追い込んでしまう人へ
「100点満点を目指すのは素晴らしいですが、**『水清ければ魚すまず』**です。時には80点で良しとして、周りと協力しながら進める余裕を持ってみてはどうでしょう。」
このように、「正しさ」と「居心地の良さ(寛容さ)」のバランスを取る知恵として活用できます。



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