三国時代は、後漢末期の群雄割拠から魏・蜀漢・呉の三国が鼎立し、最終的に西晋が天下を統一するまでの約70年間です。『三国志演義』を通じて世界中で愛される中国史最大の人気時代であり、曹操の権謀術数、劉備の仁義、孫権の外交、諸葛亮の知略、関羽の義、司馬懿の忍耐など、個性豊かな英雄たちの物語が凝縮されています。
三顧の礼で諸葛亮を得た劉備は蜀漢を建国しましたが、関羽の死と夷陵の敗戦で衰退の道を辿ります。諸葛亮は「出師の表」に忠義を込めて五度の北伐を敢行しますが、五丈原に散りました。一方、魏では司馬氏が権力を掌握し、蜀漢を滅ぼした後に晋を建国。最後の一国・呉も滅亡し、天下は再び統一されました。
三国鼎立の形成 ── 英雄たちの群像
三顧の礼で諸葛亮を迎えた劉備は蜀を制し、関羽の死と夷陵の敗戦を経て、蜀漢・魏・呉の三国鼎立が完成するまで。中国史上最もドラマチックな時代です。
207年三顧の礼 ── 天下三分の計
劉備が隆中に隠棲する諸葛亮を三度訪ね、ついに軍師として迎えた。諸葛亮は「天下三分の計」を説き、蜀漢建国への道筋を示した。
劉備の入蜀 ── 益州への道
劉璋の招きで益州に入った劉備は、内応と軍事力を駆使して益州の掌握を開始。天下三分の計の実現に向けた決定的な一歩。
成都の陥落 ── 蜀の確立
劉備が成都を攻略し劉璋を降伏させ、益州の支配を確立した。荊州と益州の二州を領有し、三国鼎立の一角を占める基盤を完成させた。
合肥の戦い ── 張遼800人が孫権10万を破る
魏の張遼がわずか800の精鋭で孫権の10万の大軍に突撃し、大混乱に陥れた。孫権自身も危うく捕虜になりかけた合肥城の伝説的防衛戦。
定軍山の戦い ── 黄忠の武功と漢中王
老将・黄忠が定軍山で魏の夏侯淵を討ち取り、劉備は漢中を制圧。「漢中王」を自称し、蜀漢の勢力は最盛期を迎えた。
関羽の樊城攻めと水淹七軍
関羽が樊城を攻め、秋の大雨を利用して于禁の七軍を水没させた「水淹七軍」。関羽の武名は天下を震撼させ、曹操に遷都を考えさせるほどだった。
白衣渡江と関羽の最期
呉の呂蒙が兵を商人に偽装させて長江を渡る「白衣渡江」で荊州を奇襲。背後を突かれた関羽は退路を断たれ、麦城で捕縛され処刑された。
曹操の死 ── 乱世の奸雄の最期
三国時代最大の英雄・曹操が66歳で病没。「治世の能臣、乱世の奸雄」と評された男は、皇帝にならぬまま世を去り、子の曹丕が魏を建国した。
蜀漢の建国 ── 劉備の即位
曹丕が漢の禅譲を受けて魏を建国すると、劉備は漢の正統を継ぐとして成都で皇帝に即位し、蜀漢を建国。関羽の仇を討つべく呉への出兵を決意した。
夷陵の戦い ── 陸遜の火攻め
関羽の仇討ちに燃える劉備の大軍を、呉の若き都督・陸遜が夷陵で火攻めにより壊滅させた。蜀漢の国力を決定的に削いだ大敗北。
白帝城の託孤 ── 劉備の遺言
夷陵の大敗後、白帝城で病に倒れた劉備が諸葛亮に後事を託した。「君の才は曹丕の十倍、劉禅が補佐に値しなければ君が取って代われ」── 中国史上最も有名な遺言。
南蛮征伐 ── 七縦七擒
諸葛亮が南方の反乱を鎮圧する際、蛮王・孟獲を七度捕らえて七度放した「七縦七擒」。武力ではなく心服させる諸葛亮の政治的手腕。
孫権の皇帝即位 ── 三国鼎立の完成
孫権が皇帝に即位して呉を正式に建国。魏・蜀漢・呉の三国がそれぞれ皇帝を戴く三国鼎立の体制が名実ともに完成した。
諸葛亮の北伐と三国の角逐
諸葛亮が「出師の表」に忠義を込めて北伐を敢行し、五丈原に散るまで。司馬懿の台頭、高平陵の変による司馬氏の権力掌握、そして三国の力学が大きく変化する時代です。
227年出師の表 ── 忠義の絶唱
諸葛亮が北伐に際して後主・劉禅に奉った上奏文「出師の表」。先帝・劉備の恩に報いる忠義の文章は、「読みて涙を落とさざる者は忠臣にあらず」と称された。
街亭の戦い ── 泣いて馬謖を斬る
第一次北伐で要衝・街亭の守備を任された馬謖が独断で山上に布陣し大敗。諸葛亮は涙ながらに馬謖を処刑した。「泣いて馬謖を斬る」の故事成語の由来。
空城の計 ── 諸葛亮vs司馬懿
街亭敗北後、迫り来る司馬懿の大軍に対し、諸葛亮は城門を大開きにして琴を弾き、空城と見せかけて撤退に成功したとされる。知略の極致として語り継がれる伝説。
木牛流馬 ── 諸葛亮の兵站革命
諸葛亮が北伐の兵站問題を解決するために発明したとされる輸送機械「木牛流馬」。蜀の険しい山道での補給を可能にした古代のロジスティクス革命。
五丈原の戦い ── 諸葛亮の死
第五次北伐で五丈原に陣を敷いた諸葛亮が陣中で病没。享年54歳。「出師未だ捷たざるに身先ず死す、長く英雄をして涙襟を満たさしむ」── 杜甫が詠んだ悲劇。
死せる孔明、生ける仲達を走らす
諸葛亮の死後、蜀軍が撤退する際に司馬懿が追撃。しかし蜀軍が反転すると伏兵を恐れて退却した。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の故事成語。
公孫淵の討伐 ── 司馬懿の遠征
遼東で独立勢力を築いた公孫淵を司馬懿が討伐。4万の軍を率いて遠征し公孫氏を滅亡させ、魏の東北辺境を安定させた。
呉の北伐と芍陂の戦い
呉の全琮・諸葛恪らが魏の淮南地方に侵攻。三方面からの同時攻勢だったが、魏の防衛線を突破できず撤退。三国の均衡を示す戦い。
興勢の戦い ── 曹爽の蜀侵攻失敗
魏の大将軍・曹爽が蜀への大規模侵攻を試みたが、蜀の費禕・王平に阻まれ大敗。曹爽の軍事的無能が露呈し、司馬懿台頭の伏線となった。
二宮の変 ── 孫権晩年の悲劇
孫権の後継者をめぐり皇太子・孫和と魯王・孫覇の派閥が対立した「二宮の変」。陸遜が巻き添えで憤死するなど、呉の人材を大きく損なった。
高平陵の変 ── 司馬懿のクーデター
病を装って10年間沈黙していた司馬懿が、曹爽の外出中に洛陽でクーデターを決行。曹爽を打倒し司馬氏が魏の実権を完全に掌握した。
王凌の乱と司馬懿の死
魏の重臣・王凌が司馬懿に対して反乱を企てたが未遂に終わり自殺。同年、司馬懿も73歳で病没。三国時代最大の策略家の最期。
孫権の死と呉の混乱
三国時代の最後の創業者・孫権が71歳で崩御。幼帝・孫亮が即位したが、権臣・諸葛恪が実権を握り、呉は長い内紛の時代に突入した。
魏晋革命と蜀漢の滅亡
司馬氏が魏の実権を掌握する中、三度の淮南の反乱が起き、曹髦が弑殺される衝撃的事件が発生。姜維の北伐も実を結ばず、ついに鄧艾の奇襲で蜀漢が滅亡。司馬炎が晋を建国するまでの激動の12年。
253年諸葛恪の失脚と誅殺
呉の権臣・諸葛恪(諸葛亮の甥)が合肥新城攻撃に失敗し威信が失墜。クーデターで殺害され、一族も族滅された。
司馬師の専権と曹芳の廃位
司馬懿の長子・司馬師が魏の皇帝・曹芳を廃位し、曹髦を擁立。司馬氏による魏の簒奪が着々と進行する。
毌丘倹の乱 ── 淮南の反乱
魏の毌丘倹と文欽が司馬氏に反旗を翻したが鎮圧された。三度にわたる「淮南三叛」の二度目であり、司馬氏への抵抗の激しさを示す。
諸葛誕の乱 ── 三度目の淮南反乱
魏の諸葛誕が呉と結んで司馬昭に反乱を起こしたが鎮圧。淮南三叛の最後であり、以後魏の内部から司馬氏に対抗する力は消滅した。
孫綝の専横と暗殺
呉の権臣・孫綝が皇帝・孫亮を廃し孫休を擁立したが、孫休が逆に孫綝を暗殺。呉は皇帝と権臣の権力闘争が繰り返される不安定な時代。
曹髦の弑殺 ── 「司馬昭の心は路人も知る」
魏帝・曹髦が「司馬昭の心は道行く人でも知っている」と叫んで自ら兵を率いて司馬昭を討とうとしたが、返り討ちにされ弑殺された。
姜維の最後の北伐 ── 段谷の敗戦
諸葛亮の遺志を継いだ姜維が十一度の北伐を敢行したが、段谷で鄧艾に大敗。蜀漢の国力は限界に達し、滅亡への道が決定的になった。
鄧艾の陰平越え ── 蜀漢の滅亡
魏の鄧艾が険しい陰平の間道を越えて成都平原に直接侵入する奇策を実行。衝撃を受けた劉禅は戦わずして降伏し、蜀漢は42年で滅亡した。
劉禅の降伏 ── 「楽不思蜀」
降伏した劉禅は洛陽に送られ、司馬昭の宴で「此の間楽しくして蜀を思わず」と答えた。故事成語「楽不思蜀」── 亡国の君主の愚かさか、それとも生き延びるための知恵か。
鍾会と姜維の反乱 ── 最後の抵抗
蜀を滅ぼした鍾会が蜀で独立を図り、姜維がこれに乗じて蜀漢復興を目論んだ。しかし兵士が従わず両者とも殺害された。三国時代最後の大事件。
司馬昭の晋王即位
蜀漢を滅ぼした功績により司馬昭が晋王に封じられた。禅譲への最終段階であり、魏から晋への王朝交代は時間の問題となった。
西晋の建国 ── 司馬炎の禅譲
司馬昭の死後、子の司馬炎が魏帝・曹奐から禅譲を受けて晋(西晋)を建国。魏は45年で滅亡し、天下統一への最終段階に入った。
呉の滅亡と天下統一 ── 三国時代の終焉
西晋が建国されても最後の一国・呉は健在でした。しかし孫皓の暴政で国力は衰退し、羊祜・杜預の戦略と王濬の楼船が呉を滅ぼし、ついに天下は統一されます。
266年西晋の統治体制 ── 九品官人法と封建
司馬炎は九品官人法を継続し、司馬氏一族を各地に封建した。中央集権と封建制の併用は、後の八王の乱の遠因となる。
五胡の内遷 ── 後の大乱の伏線
匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の五胡が中国内地に移住を進めた。この「内遷」は後の五胡十六国時代の大乱を引き起こす遠因となった。
歩闡の乱と西陵の戦い
呉の西陵督・歩闡が晋に寝返ったが、陸抗が迅速に鎮圧。呉最後の名将・陸抗の軍事的手腕が光る戦い。
陸抗と羊祜 ── 敵を敬う名将
晋の羊祜と呉の陸抗は国境を挟んで対峙しながらも互いの人格を敬い、酒や薬を贈り合った。「羊陸の交わり」── 敵味方を超えた武人の礼。
孫皓の暴政 ── 呉の自壊
呉の最後の皇帝・孫皓は残忍な暴君として知られ、気に入らない臣下の顔の皮を剥ぐなどの暴虐を行った。呉は外敵ではなく内部から崩壊していった。
羊祜の遺策 ── 伐呉の大戦略
晋の名臣・羊祜が死の直前に伐呉の戦略を司馬炎に進言。「天意に従い民の望みに応えよ」── 実現を見ずに亡くなった羊祜の遺策が呉滅亡の青写真となった。
六路の大軍 ── 伐呉作戦の発動
晋が20万の大軍を六路に分けて呉への総攻撃を開始。杜預が荊州方面、王濬が長江上流から楼船で東下するという壮大な作戦計画。
王濬の楼船東下 ── 一片の降幡
王濬が巨大な楼船で長江を東下し、鉄鎖による呉の防衛線を焼き払って建業に迫った。劉禹錫が詠んだ「王濬楼船下益州、金陵王気黯然として収む」。
呉の滅亡と天下統一
孫皓が司馬炎に降伏し、三国最後の国・呉が滅亡。漢の滅亡から60年、中国は再び一つの王朝のもとに統一された。
太康の治と統一後の繁栄
天下統一後、西晋は「太康の治」と呼ばれる繁栄期を迎えた。しかしその平和は短く、司馬氏一族の内紛(八王の乱)が迫っていた。
建安文学と三国の文化
曹操・曹丕・曹植の「三曹」を中心とする建安文学は、中国文学史上の黄金時代。乱世が生んだ激情と人生への省察が、力強い詩文となって結実した。
『三国志』の成立 ── 陳寿と裴松之
蜀漢の旧臣・陳寿が正史『三国志』を著し、150年後に裴松之が詳細な注を付した。この書が後の『三国志演義』の原典となり、永遠の物語を生んだ。
三国時代 年表一覧
三国時代の主要な出来事50件を年代順にまとめました。各出来事をクリックすると詳細ページに移動します。
| 年代 | 出来事 | 時期 | 関連する故事成語 |
|---|---|---|---|
| 207 | 三顧の礼 | 鼎立の形成 | 三顧の礼 |
| 211 | 劉備の入蜀 | 鼎立の形成 | — |
| 214 | 成都の陥落 | 鼎立の形成 | — |
| 215 | 合肥の戦い | 鼎立の形成 | — |
| 219 | 定軍山の戦い | 鼎立の形成 | — |
| 219 | 水淹七軍 | 鼎立の形成 | — |
| 219 | 白衣渡江と関羽の死 | 鼎立の形成 | — |
| 220 | 曹操の死 | 鼎立の形成 | — |
| 221 | 蜀漢の建国 | 鼎立の形成 | — |
| 222 | 夷陵の戦い | 鼎立の形成 | — |
| 223 | 白帝城の託孤 | 鼎立の形成 | — |
| 225 | 南蛮征伐 | 鼎立の形成 | 七縦七擒 |
| 229 | 孫権の即位 | 鼎立の形成 | — |
| 227 | 出師の表 | 諸葛亮の北伐 | 出師の表 |
| 228 | 街亭の戦い | 諸葛亮の北伐 | 泣斬馬謖 |
| 228 | 空城の計 | 諸葛亮の北伐 | 空城の計 |
| 231 | 木牛流馬 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 234 | 五丈原の戦い | 諸葛亮の北伐 | — |
| 234 | 死せる孔明 | 諸葛亮の北伐 | 死諸葛走仲達 |
| 238 | 公孫淵の討伐 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 241 | 呉の北伐 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 244 | 興勢の戦い | 諸葛亮の北伐 | — |
| 245 | 二宮の変 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 249 | 高平陵の変 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 251 | 司馬懿の死 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 252 | 孫権の死 | 諸葛亮の北伐 | — |
| 253 | 諸葛恪の失脚 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 254 | 司馬師の専権 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 255 | 毌丘倹の乱 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 257 | 諸葛誕の乱 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 258 | 孫綝の専横 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 260 | 曹髦の弑殺 | 蜀漢の滅亡 | 司馬昭之心 |
| 262 | 姜維の最後の北伐 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 263 | 鄧艾の陰平越え | 蜀漢の滅亡 | — |
| 263 | 劉禅の降伏 | 蜀漢の滅亡 | 楽不思蜀 |
| 264 | 鍾会と姜維の反乱 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 264 | 司馬昭の晋王即位 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 265 | 西晋の建国 | 蜀漢の滅亡 | — |
| 266 | 西晋の統治体制 | 天下統一 | — |
| 268 | 五胡の内遷 | 天下統一 | — |
| 272 | 歩闡の乱 | 天下統一 | — |
| 274 | 陸抗と羊祜 | 天下統一 | — |
| 276 | 孫皓の暴政 | 天下統一 | — |
| 278 | 羊祜の遺策 | 天下統一 | — |
| 279 | 伐呉作戦の発動 | 天下統一 | — |
| 280 | 王濬の楼船東下 | 天下統一 | — |
| 280 | 呉の滅亡 | 天下統一 | — |
| 280 | 太康の治 | 天下統一 | — |
| 280 | 建安文学 | 天下統一 | — |
| 280 | 『三国志』の成立 | 天下統一 | — |