隋唐時代は、中国の歴史における最も華やかな約300年間です。隋の文帝・楊堅が南北朝の分裂を終わらせて天下を統一し、科挙・三省六部・大運河という後世の中国を規定する制度を創設しました。煬帝の暴政で隋はわずか38年で滅びますが、唐がその遺産を継承して空前の繁栄を築きます。
唐の太宗・李世民は「貞観の治」と呼ばれる理想的な統治を実現し、首都・長安は人口100万を超える世界最大の国際都市となりました。玄奘の天竺取経、李白・杜甫・白居易らの唐詩、武則天の女帝即位、楊貴妃の物語、そして遣唐使を通じた日本への文化伝播。唐は東アジア文明圏の中心として、周辺諸国に計り知れない影響を与えました。
しかし安史の乱(755年)を境に唐は衰退に転じ、藩鎮の割拠、宦官の専横、黄巣の乱を経て907年に滅亡しました。
隋の興亡 ── 統一と崩壊の38年
楊堅が南北朝の分裂を終わらせ隋を建国。三省六部制、科挙、大運河を創設しましたが、煬帝の暴政と高句麗遠征の失敗で天下は大乱に陥り、わずか38年で滅亡しました。
581年隋の建国 ── 楊堅の禅譲
北周の外戚・楊堅が禅譲を受けて隋を建国。南北朝300年の分裂を終わらせる天下統一への第一歩を踏み出した。
三省六部制の確立 ── 中央官制の完成
隋の文帝が中書省・門下省・尚書省の三省と六部を整備し、中央官制を完成させた。以後1300年にわたる中国官僚制の基本型。
天下統一 ── 南朝陳の滅亡
隋が南朝最後の王朝・陳を滅ぼし、西晋の滅亡以来約270年ぶりに中国を統一。南北の文化が融合する新時代の幕開け。
開皇の治 ── 隋の黄金時代
文帝の治世「開皇の治」は、均田制・租庸調制の整備により国庫は満ち、人口は激増した。中国史上屈指の善政として評価される。
煬帝の即位 ── 暴君か英主か
楊広が父・文帝の死後に即位して煬帝となった。大運河・科挙・洛陽造営など大事業を断行するも、苛政が帝国を崩壊に導く。
大運河の建設 ── 南北を結ぶ大動脈
煬帝が百万人以上を動員して大運河を建設。杭州から北京に至る全長2500kmの水路は、中国の経済構造を根本から変えた。
科挙制度の創設 ── 実力主義の官僚登用
煬帝が進士科を設置し、試験による官僚登用制度「科挙」を本格化。門閥貴族に代わる実力主義の官僚制が1300年にわたり中国を支えた。
遣隋使 ── 「日出づる処の天子」
倭国の使者・小野妹子が隋に派遣され、国書に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と記した。煬帝を激怒させた外交事件。
高句麗遠征の大敗 ── 113万の軍壊滅
煬帝が113万の大軍で高句麗に遠征したが惨敗。30万の別働隊のうち生還者はわずか2700人。帝国崩壊の決定的な契機。
楊玄感の乱と天下動揺
名門出身の楊玄感が煬帝に反旗を翻した。乱は鎮圧されたが、貴族層の離反は隋の命運が尽きつつあることを示していた。
群雄の蜂起 ── 隋末の大乱
李密・竇建徳・王世充ら群雄が各地で蜂起し、隋の支配は完全に崩壊。秦末・漢末に匹敵する天下大乱の時代に突入した。
李淵の太原挙兵 ── 唐建国への道
太原留守・李淵が次子・李世民の進言で挙兵。突厥と結び、迅速に長安を制圧して恭帝を擁立した。唐王朝誕生への決定的な一歩。
煬帝の死と隋の滅亡
江都(揚州)に逃れた煬帝が近衛兵のクーデターで殺害され、隋は滅亡。大運河と科挙という偉大な遺産を残しながら、わずか38年で消えた王朝。
初唐の栄光 ── 貞観の治と東アジアの覇権
李淵が唐を建国し、玄武門の変で権力を握った太宗・李世民が「貞観の治」を実現。東突厥・西突厥を滅ぼし、玄奘が天竺から帰還し、白村江で日本と戦い、高句麗を滅ぼす。唐が東アジアの覇権を確立した時代です。
618年唐の建国 ── 李淵の即位
李淵が隋の恭帝から禅譲を受けて唐を建国。長安を首都とし、約300年にわたる大帝国の基礎を築いた。
玄武門の変 ── 李世民のクーデター
秦王・李世民が玄武門で兄・太子建成と弟・斉王元吉を殺害し、父・李淵から帝位を奪った。中国史上最も有名な宮廷クーデター。
貞観の治 ── 太宗と魏徴の理想政治
太宗・李世民が諫臣・魏徴を重用し、「貞観の治」と呼ばれる理想的な統治を実現。「水は舟を載せ、また舟を覆す」── 名君の代名詞。
玄奘の天竺取経 ── 西遊記の原型
僧・玄奘が国禁を犯して天竺(インド)に向けて出発。17年の旅を経て657部の仏典を持ち帰り、『大唐西域記』を著した。『西遊記』の原型。
東突厥の滅亡 ── 天可汗の称号
唐軍が東突厥を滅ぼし、太宗は北方遊牧民から「天可汗」(天の可汗)の称号を受けた。中華皇帝と遊牧帝国の長を兼ねる前例のない地位。
文成公主のチベット降嫁
太宗が宗室の女性・文成公主をチベット(吐蕃)のソンツェン・ガンポ王に降嫁させた。仏教・漢字・農業技術がチベットに伝わる契機。
玄奘の帰国と『大唐西域記』
17年の旅を終えた玄奘が長安に帰還。太宗の援助で仏典の翻訳事業に着手し、『大唐西域記』を著して西域・天竺の地理と文化を伝えた。
太宗の崩御 ── 貞観の遺訓
中国史上最も偉大な皇帝の一人とされる太宗が52歳で崩御。23年にわたる貞観の治は、後世のすべての皇帝の模範となった。
西突厥の滅亡 ── 唐の版図最大
蘇定方が西突厥を滅ぼし、唐の版図は中央アジアにまで拡大。東は朝鮮半島、西はペルシアに至る史上最大の中華帝国が出現した。
百済の滅亡 ── 朝鮮半島の激変
唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼした。百済の遺臣は倭国に救援を求め、白村江の戦いへとつながる東アジアの大激動が始まった。
白村江の戦い ── 日本と唐の激突
百済復興を支援する倭国の水軍が、白村江で唐・新羅連合軍に壊滅的敗北を喫した。日本の対外政策を根本から転換させた歴史的大戦。
高句麗の滅亡 ── 700年の大国の終焉
唐と新羅の連合軍が高句麗を滅ぼした。隋の煬帝が3度遠征しても倒せなかった強国が、ついに700年の歴史に幕を閉じた。
高宗の崩御と武后の台頭
唐の第3代皇帝・高宗が崩御。皇后・武氏(後の武則天)が実権を掌握し、中国史上唯一の女帝への道を歩み始めた。
武則天から玄宗へ ── 女帝と楊貴妃の時代
中国史上唯一の女帝・武則天が「周」を建国し、その退位後に玄宗が「開元の治」で唐の黄金時代を築きます。李白・杜甫の唐詩が花開き、楊貴妃が寵愛を受け、しかし安禄山の反乱で帝国は大きく傾きました。
690年武則天の即位 ── 中国史上唯一の女帝
武后が自ら皇帝に即位し国号を「周」に改めた。中国史上唯一の女帝として15年間統治し、科挙を拡充して人材登用の道を広げた。
神龍革命 ── 武則天の退位
宰相・張柬之らがクーデターを起こし、武則天を退位させて唐を復活させた。82歳の女帝はその年のうちに崩御した。
韋后の乱と玄宗の台頭
中宗の皇后・韋后が武則天を模倣して権力を握ろうとしたが、李隆基(後の玄宗)がクーデターで韋后を打倒。玄宗の時代が始まる。
開元の治 ── 唐の黄金時代
玄宗が名宰相・姚崇と宋璟を重用し「開元の治」と呼ばれる唐最盛期の善政を実現。長安は人口100万を超える世界最大の都市に。
唐詩の黄金時代 ── 李白・杜甫・王維
開元年間を中心に李白・杜甫・王維・孟浩然ら大詩人が活躍し、唐詩は中国文学史上最高の黄金時代を迎えた。
楊貴妃の寵愛 ── 傾国の美女
玄宗が息子の妃・楊玉環を宮中に迎え、楊貴妃として溺愛した。白居易の「長恨歌」に詠まれた中国四大美女の一人。
安禄山の台頭 ── 節度使の権力
ソグド系の安禄山が范陽・平盧・河東の三節度使を兼任し、唐の全辺境軍の約半分を掌握。中央を凌ぐ軍事力が帝国の脅威に。
タラス河畔の戦い ── 東西文明の衝突
唐軍がアッバース朝イスラム帝国と中央アジアのタラス河畔で激突し敗北。製紙術が西方に伝わるきっかけとなった東西文明の衝突。
鑑真の来日 ── 文化の架け橋
唐の高僧・鑑真が6度の渡航失敗と失明を乗り越えて日本に到着。律宗を伝え、唐招提寺を建立した不屈の求道者。
安史の乱の勃発 ── 帝国の崩壊
安禄山が15万の兵で范陽から挙兵し、唐帝国を震撼させる「安史の乱」が勃発。8年にわたる大乱は唐を決定的に衰退させた。
馬嵬の変 ── 楊貴妃の死
安禄山の反乱軍から逃れる途中、馬嵬駅で護衛兵が反乱。玄宗は愛する楊貴妃の死を命じざるを得なかった。「長恨歌」に詠まれた悲劇。
粛宗の即位と反撃 ── 唐の復活
太子・李亨が霊武で即位して粛宗となり、ウイグルの援軍を得て反撃を開始。玄宗は太上皇に退き、唐の復活への道が開かれた。
安史の乱から唐の滅亡 ── 藩鎮と宦官の時代
安史の乱の終結後も唐は藩鎮の割拠と宦官の専横に苦しみ、甘露の変・会昌の廃仏を経て衰退。黄巣の乱が致命傷となり、朱全忠の簒奪で907年に滅亡しました。
757年長安奪還と安禄山の死
粛宗とウイグル援軍が長安を奪還。安禄山は息子・安慶緒に殺害されたが、乱はなお7年続いた。
安史の乱の終結と藩鎮体制
史朝義の死で安史の乱が終結したが、投降した反乱軍の将が藩鎮として各地に残存。「藩鎮割拠」の時代が始まった。
両税法の実施 ── 税制の大転換
宰相・楊炎が租庸調制を廃し、夏秋二度の徴税を行う「両税法」を実施。均田制の崩壊に対応した画期的な税制改革。
永貞の変 ── 改革派の挫折
順宗のもとで王叔文・柳宗元・劉禹錫ら改革派が藩鎮と宦官の削減を試みたが、わずか半年で宦官に潰された。
韓愈の諫仏骨表 ── 儒教の復権
韓愈が仏骨の迎入に反対する「諫仏骨表」を憲宗に奉り、潮州に左遷された。儒教復興運動「古文復興」の象徴的事件。
甘露の変 ── 宦官との最終対決
文宗が宰相と謀って宦官の排除を企てたが、計画が露見して失敗。宦官はかえって権力を強め、以後の唐帝は完全な傀儡となった。
会昌の廃仏 ── 三武一宗の法難
武宗が仏教を大弾圧し、4600余の寺院を破壊し26万人の僧尼を還俗させた。「三武一宗の法難」の一つとして仏教史に刻まれる大事件。
黄巣の乱 ── 唐王朝への致命傷
塩の密売人・黄巣が大規模な農民反乱を起こし、唐の支配体制に致命傷を与えた。10年にわたる大乱は唐の実質的な終焉を告げた。
黄巣の長安占領 ── 大斉の建国
黄巣が長安を占領し「大斉」を建国。しかし統治能力を欠き、長安は略奪と破壊に晒された。唐の都が灰燼に帰した悲劇。
黄巣の敗死と藩鎮割拠の深化
朱全忠・李克用らの討伐で黄巣は敗死したが、乱の鎮圧に功績のある藩鎮がさらに力を増し、唐は名ばかりの存在となった。
朱全忠の専横と昭宗の暗殺
藩鎮の最強者・朱全忠が唐の都を洛陽に遷し、昭宗を暗殺して幼帝・哀帝を擁立。唐王朝の滅亡は目前に迫った。
唐の滅亡 ── 五代十国の幕開け
朱全忠が哀帝から禅譲を受けて後梁を建国し、約290年の唐王朝が滅亡。中国は再び五代十国の分裂時代に突入した。
隋唐 年表一覧
隋唐の主要な出来事50件を年代順にまとめました。
| 年代 | 出来事 | 時期 | 故事成語 |
|---|---|---|---|
| 581 | 隋の建国 | 隋の興亡 | — |
| 583 | 三省六部制の確立 | 隋の興亡 | — |
| 589 | 天下統一 | 隋の興亡 | — |
| 595 | 開皇の治 | 隋の興亡 | — |
| 604 | 煬帝の即位 | 隋の興亡 | — |
| 605 | 大運河の建設 | 隋の興亡 | — |
| 606 | 科挙制度の創設 | 隋の興亡 | — |
| 607 | 遣隋使 | 隋の興亡 | 日出づる処 |
| 612 | 高句麗遠征の大敗 | 隋の興亡 | — |
| 613 | 楊玄感の乱 | 隋の興亡 | — |
| 616 | 群雄の蜂起 | 隋の興亡 | — |
| 617 | 李淵の太原挙兵 | 隋の興亡 | — |
| 618 | 煬帝の死と隋の滅亡 | 隋の興亡 | — |
| 618 | 唐の建国 | 初唐の栄光 | — |
| 626 | 玄武門の変 | 初唐の栄光 | — |
| 627 | 貞観の治 | 初唐の栄光 | 水舟の喩え |
| 629 | 玄奘の天竺取経 | 初唐の栄光 | — |
| 630 | 東突厥の滅亡 | 初唐の栄光 | 天可汗 |
| 641 | 文成公主の降嫁 | 初唐の栄光 | — |
| 645 | 玄奘の帰国 | 初唐の栄光 | — |
| 649 | 太宗の崩御 | 初唐の栄光 | — |
| 657 | 西突厥の滅亡 | 初唐の栄光 | — |
| 660 | 百済の滅亡 | 初唐の栄光 | — |
| 663 | 白村江の戦い | 初唐の栄光 | — |
| 668 | 高句麗の滅亡 | 初唐の栄光 | — |
| 683 | 高宗の崩御 | 初唐の栄光 | — |
| 690 | 武則天の即位 | 武則天と玄宗 | — |
| 705 | 神龍革命 | 武則天と玄宗 | — |
| 710 | 韋后の乱 | 武則天と玄宗 | — |
| 713 | 開元の治 | 武則天と玄宗 | — |
| 725頃 | 唐詩の黄金時代 | 武則天と玄宗 | — |
| 742 | 楊貴妃の寵愛 | 武則天と玄宗 | — |
| 744 | 安禄山の台頭 | 武則天と玄宗 | — |
| 751 | タラス河畔の戦い | 武則天と玄宗 | — |
| 753 | 鑑真の来日 | 武則天と玄宗 | — |
| 755 | 安史の乱の勃発 | 武則天と玄宗 | — |
| 756 | 馬嵬の変 | 武則天と玄宗 | — |
| 756 | 粛宗の即位 | 武則天と玄宗 | — |
| 757 | 長安奪還 | 唐の滅亡 | — |
| 763 | 安史の乱の終結 | 唐の滅亡 | — |
| 780 | 両税法の実施 | 唐の滅亡 | — |
| 805 | 永貞の変 | 唐の滅亡 | — |
| 819 | 韓愈の諫仏骨表 | 唐の滅亡 | — |
| 835 | 甘露の変 | 唐の滅亡 | — |
| 845 | 会昌の廃仏 | 唐の滅亡 | — |
| 875 | 黄巣の乱 | 唐の滅亡 | — |
| 880 | 黄巣の長安占領 | 唐の滅亡 | — |
| 884 | 黄巣の敗死 | 唐の滅亡 | — |
| 904 | 朱全忠の専横 | 唐の滅亡 | — |
| 907 | 唐の滅亡 | 唐の滅亡 | — |