AD 751

タラス河畔の戦い
東西文明の衝突

751年7月、唐軍とアッバース朝イスラム帝国が中央アジアのタラス河畔で激突。唐の敗北は東西勢力圏の境界を確定し、製紙術の西方伝播という文明史的転換をもたらした。

751年は、東アジアと西アジアの二大文明圏が軍事的に直接衝突した、世界史上極めて稀な年です。中央アジアのタラス河畔(現在のカザフスタン南東部、タラズ付近)において、唐の安西都護府の軍勢とアッバース朝イスラム帝国の軍勢が激戦を繰り広げました。結果は唐の大敗であり、唐は中央アジアにおける影響力を大きく後退させることになります。

この戦いの直接の原因は、中央アジアの覇権をめぐる唐とアッバース朝の競合でした。唐は太宗以来、西域の経営に力を注ぎ、安西四鎮(亀茲・于闐・焉耆・疏勒)を拠点として中央アジアにまで影響力を及ぼしていました。一方、750年にウマイヤ朝を打倒して成立したアッバース朝は、新王朝の勢いに乗ってトランスオクシアナ(中央アジアのアム川とシル川の間の地域)への影響力拡大を図っていました。

タラスの戦い自体は、当時の唐やアッバース朝にとって辺境における一局地戦に過ぎませんでした。しかし、この戦いの結果として中国の製紙技術がイスラム世界に伝わったことは、人類の文明史において計り知れない影響を及ぼしました。紙の製造技術はイスラム世界を経由してヨーロッパに伝わり、やがて印刷革命と結びついて知識の大衆化を実現させるのです。タラスの戦いは、軍事的にはささやかな出来事でしたが、文明史的には世界を変えた戦いでした。

このページでは、タラスの戦いに至る中央アジアの国際情勢、戦いの具体的経緯、製紙術の西方伝播の過程、そしてこの戦いが東西文明に与えた深遠な歴史的意義を詳しく解説します。

中央アジアの国際情勢 ── 唐とイスラムの角逐

唐の中央アジア進出の歴史は、太宗の時代に遡ります。630年に東突厥を滅ぼした太宗は、その勢いで西域にも勢力を拡大し、640年に高昌国を滅ぼして安西都護府を設置しました。以後、唐は亀茲・于闐・焉耆・疏勒の「安西四鎮」を拠点として、シルクロードの交易路を掌握し、中央アジアのソグディアナ地方にまで影響力を及ぼしました。

一方、7世紀にアラビア半島で誕生したイスラム帝国は、急速な膨張を遂げ、ササン朝ペルシアを滅ぼした後、中央アジアへと勢力を伸ばしました。ウマイヤ朝の時代にトランスオクシアナの征服が進み、サマルカンドやブハラといったソグド人の都市がイスラム帝国の支配下に入りました。こうして唐とイスラム帝国の勢力圏はシル川流域で接触し、中央アジアの覇権をめぐる緊張が高まっていきました。

750年、アッバース革命によってウマイヤ朝が打倒され、アッバース朝が成立しました。新王朝は中央アジアにおける影響力をさらに強化しようとしました。同時期、唐の安西節度使・高仙芝は積極的な西域政策を展開しており、749年にはタシュケント(石国)を攻略して国王を捕虜としていました。この高仙芝の強引な行動が、タシュケント王の子息をアッバース朝に駆け込ませ、タラスの戦いの直接の引き金となったのです。

交易の要衝

ソグド人 ── シルクロードの仲介者

タラスの戦いの舞台となった中央アジアは、ソグド人の故地でした。ソグド人はイラン系の商業民族で、サマルカンドを中心にシルクロード交易を支配していました。彼らは唐の都・長安にも大量に居住し、東西交易の仲介者として巨大な富を蓄えていました。安禄山の父もソグド人であったことが示すように、ソグド人は唐の軍事・商業に深く関与していました。タラスの戦いは、このソグド人の世界の命運を決する意味も持っていたのです。戦後、中央アジアのソグド人社会は次第にイスラム化し、独自の文化は消滅していきました。

ソグド人サマルカンドシルクロード東西交易イラン系

戦いの経緯 ── 高仙芝の遠征と敗北

751年7月、唐の安西節度使・高仙芝は約3万の兵(唐軍と西域諸国の同盟軍を含む)を率いて、タラス河畔に進軍しました。高仙芝は高句麗系の将軍で、747年の小勃律遠征で名を馳せた歴戦の勇将でした。彼の軍は唐の正規軍に加え、カルルク族などのテュルク系遊牧民の同盟軍で構成されていました。

これに対するアッバース朝側は、ホラーサーン総督 アブー・ムスリムの配下の将軍ズィヤード・イブン・サーリフが指揮する軍勢でした。アッバース朝軍にはアラブ人・ペルシア人に加え、中央アジアのテュルク系諸部族も合流しており、兵力は唐軍を上回っていたとされています。

戦闘は約5日間にわたって行われましたが、決定的な転機となったのは、唐軍に同盟していたカルルク族の裏切りでした。カルルク族は戦闘の最中にアッバース朝側に寝返り、唐軍の背後を突きました。挟撃された唐軍は総崩れとなり、高仙芝は辛うじて脱出しましたが、唐軍は壊滅的な打撃を受けました。兵士の大半は戦死するか捕虜となり、この捕虜の中に製紙の技術者が含まれていたことが、後の世界史を大きく変えることになります。

カルルクの寝返りにより唐軍の陣は瓦解し、高仙芝は数千の残兵とともに辛くも脱出した。 ── 『資治通鑑』の戦況記述の趣旨

製紙術の西伝 ── 文明を変えた技術移転

タラスの戦いが世界史に残した最大の遺産は、製紙術の西方伝播です。中国では後漢の蔡倫が105年に製紙法を改良して以来、紙は書写材料として広く普及していましたが、その製造技術は長らく中国の独占でした。タラスの戦いで捕虜となった唐の兵士の中に紙漉きの技術者がおり、彼らがサマルカンドで製紙の技術を伝えたとされています。

サマルカンドはすぐに良質の紙の生産地となり、「サマルカンド紙」はイスラム世界で高く評価されました。製紙技術はサマルカンドからバグダッド(795年頃に製紙工場が設立)、さらにダマスカス、カイロ、北アフリカへと伝播しました。12世紀にはイベリア半島のムーア人の支配地域を経由してヨーロッパに到達し、やがてイタリア・フランス・ドイツへと広がりました。

紙の普及は知識の伝達と保存に革命をもたらしました。羊皮紙やパピルスに比べて安価で大量生産が可能な紙は、書物の生産コストを劇的に引き下げ、イスラム文明の「翻訳運動」(ギリシア古典のアラビア語訳)を支える重要なインフラとなりました。さらに15世紀のグーテンベルクの活版印刷術と結びつくことで、紙はヨーロッパのルネサンスと宗教改革を可能にする基盤技術となったのです。製紙術の西伝なくして、近代文明の誕生はなかったと言っても過言ではありません。

技術の伝播

紙の旅路 ── サマルカンドからヨーロッパへ

製紙術の伝播は約400年をかけてユーラシア大陸を西へと進みました。751年にサマルカンドで生産が始まった紙は、795年にバグダッド、900年頃にカイロ、1100年頃にモロッコ、1150年にスペインのシャティバ、1276年にイタリアのファブリアーノへと伝わりました。各地で原料や技法が現地化され、特にイタリアでは水力を利用した製紙工場が発展し、ヨーロッパの書物文化の基盤が形成されました。一つの戦闘における捕虜の技術が、数世紀をかけて世界の知的基盤を変革したのです。

製紙術サマルカンドバグダッド活版印刷技術伝播

戦後の影響 ── 唐の中央アジア撤退

タラスの戦いの敗北自体は、唐にとって致命的なものではありませんでした。高仙芝は安西に帰還後も節度使の地位を保ち、唐の西域支配は直ちに崩壊したわけではありません。しかし、この敗北は唐の中央アジアにおける威信を大きく損ない、現地の諸勢力が唐からアッバース朝へと鞍替えするきっかけとなりました。

タラスの敗北よりも決定的だったのは、その4年後に勃発した安史の乱(755年)です。安禄山の反乱に対処するため、唐は西域の精鋭部隊を内地に引き揚げざるを得なくなりました。安西四鎮の駐留軍は大幅に縮小され、唐の中央アジアにおける軍事的プレゼンスは急速に失われていきました。790年頃までに安西四鎮はすべて吐蕃に奪われ、唐のシルクロード支配は完全に終焉しました。

一方、アッバース朝は中央アジアにおける覇権を確立しましたが、直ちに東方に大規模な進出を行うことはありませんでした。アッバース朝も内部問題を抱えており、タラスの戦いは東西両帝国の勢力圏の境界線を確定する意味を持ったのです。中央アジアは次第にイスラム化・テュルク化が進み、かつてのソグド人の商業文明は姿を消していきました。

歴史的意義 ── 世界史の分水嶺

タラス河畔の戦いは、複数の意味で世界史上の分水嶺となった出来事です。第一に、これは中国文明圏とイスラム文明圏が大規模に直接対決した、世界史上ほぼ唯一の戦いでした。ユーラシア大陸の東西に形成された二つの巨大文明圏は、通常は中央アジアの仲介者(ソグド人・テュルク系遊牧民など)を通じて間接的に接触していましたが、タラスにおいて初めて正面から激突したのです。

第二に、この戦いは中央アジアの文明的帰属を決定しました。タラス以前の中央アジアは、仏教・ゾロアスター教・マニ教・ネストリウス派キリスト教など多様な宗教が共存する地域でしたが、戦後のイスラム化の進展により、中央アジアはイスラム文明圏に組み込まれていきました。この変化は現在に至るまで続いています。

第三に、そして最も重要なことに、製紙術の西方伝播という文明史的影響です。紙という安価な書写材料の普及は、知識の生産と流通のコストを劇的に引き下げ、イスラム文明の学術的黄金時代を支えました。さらにヨーロッパに渡った紙は、グーテンベルクの印刷革命と結びつき、近代的な知識社会の基盤を形成しました。タラスの戦いは、一局地戦としては小さな出来事でしたが、その文明史的な波及効果は人類史全体を変えたのです。

タラス河畔の戦い 関連年表

年代出来事備考
640年唐が安西都護府を設置西域経営の拠点
711年ウマイヤ朝がトランスオクシアナを征服イスラム勢力の中央アジア進出
747年高仙芝の小勃律遠征パミール高原を越えた大遠征
749年高仙芝がタシュケント(石国)を攻略国王を捕虜にし、反感を招く
750年アッバース革命、アッバース朝成立イスラム帝国の新王朝
751年7月タラス河畔の戦い唐軍が大敗、製紙術の西伝の契機
755年安史の乱勃発唐の西域軍が内地に引き揚げ
795年頃バグダッドに製紙工場設立イスラム世界での紙の普及
790年頃安西四鎮が吐蕃に陥落唐のシルクロード支配の終焉
1150年スペインで製紙開始ヨーロッパへの製紙術伝播