戦国時代とは、晋の実権を握っていた三家(趙・韓・魏)が智伯を滅ぼした紀元前453年から、秦が斉を降伏させて天下統一を達成した紀元前221年までの約230年間を指します。司馬光の『資治通鑑』は紀元前403年の三家分晋を起点としますが、実質的な変動はそれ以前から始まっていました。
この時代は「戦国七雄」と呼ばれる秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七大国が、領土拡大と生存を賭けて激しく争った弱肉強食の時代です。各国では商鞅・呉起・李悝らによる変法(法制改革)が推進され、旧来の貴族政治から法治国家への転換が進みました。
蘇秦の合従策と張儀の連衡策に代表される縦横家の外交戦、白起・王翦ら名将の軍事活動、韓非子・荀子ら思想家の活躍、そして秦王政による史上初の天下統一に至るまで、「完璧」「鶏鳴狗盗」「奇貨居くべし」など数多くの故事成語がこの時代から生まれています。
三晋の成立と変法の時代 ── 旧秩序の崩壊と法治国家の誕生
晋の分裂から戦国時代が始まり、各国で変法(法制改革)が推進された時代。魏の李悝、楚の呉起、秦の商鞅らが活躍し、旧来の貴族政治から法治国家への転換が進みました。
紀元前453年晋陽の戦い ── 智伯の滅亡と三家分晋の始まり
趙・韓・魏の三家が智伯を滅ぼし、晋の実権を完全に掌握。「唇亡びて歯寒し」の故事の舞台。三家が晋を分割する戦国時代の幕開けとなった事件。
三家分晋 ── 韓・趙・魏が正式に諸侯となる
周の威烈王が韓・趙・魏を正式に諸侯として認め、春秋の大国・晋が名実ともに消滅。司馬光『資治通鑑』はこの年を戦国時代の起点とする。
李悝の変法 ── 魏の文侯のもとでの法治改革
魏の文侯の宰相・李悝が『法経』を著し、中国初の体系的な法典を制定。農業振興策「尽地力の教」とともに魏を戦国初期の最強国に押し上げた。
陰晋の戦い ── 呉起が秦軍5万を大破
魏の名将・呉起が「武卒」制度で鍛え上げた精鋭軍を率いて秦軍50万を破ったとされる。呉起は『呉子』の著者としても知られる戦国時代を代表する兵法家。
田氏代斉 ── 田和が斉公に封じられる
元は斉の家臣だった田氏が、数世代にわたる権力掌握の末、ついに斉の君主の座を簒奪。周王の承認を得て正式な諸侯となった。下剋上の代表例。
呉起の死 ── 楚の改革と貴族の抵抗
楚の悼王のもとで改革を推進した呉起が、悼王の死後に貴族たちの復讐により殺害される。呉起は王の遺体に伏して矢を避けたが、王の遺体を射た罪で貴族70余家が処刑された。
晋の滅亡 ── 名門国家の完全消滅
韓・趙・魏が晋の最後の君主・晋静公を廃し、領土を完全に三分割。春秋時代の覇者を輩出した名門・晋が600年以上の歴史に幕を下ろした。
魏の恵王即位と大梁遷都
魏の恵王が即位し、やがて都を安邑から大梁(現在の開封)に遷都。魏は中原の要衝を押さえる大国となったが、東西から斉と秦に圧迫される地政学的困難に直面した。
秦の孝公即位と求賢令
秦の孝公が即位し、「賢才を求む」の布告を発布。辺境の後進国とみなされていた秦が、天下に人材を求めて強国への道を歩み始めた歴史的転換点。
商鞅の第一次変法 ── 秦の法治国家化
衛の出身の商鞅が秦の孝公のもとで変法を開始。什伍の制、連座制、軍功爵制を導入し、秦を法治国家に改造。「徙木立信」の故事でも知られる。
桂陵の戦い ── 囲魏救趙の計
魏が趙の邯鄲を包囲した際、斉の軍師・孫臏が「敵の本拠を攻めて救う」囲魏救趙の計を用い、帰途の魏軍を桂陵で大破した。兵法の代表的な戦術。
商鞅の第二次変法と咸陽遷都
商鞅が県制の実施、度量衡の統一、井田制の廃止などさらなる改革を断行。都を雍から咸陽に遷し、秦の中央集権体制を確立した。
逢沢の会盟 ── 魏の恵王が称王
魏の恵王が逢沢に諸侯を集めて会盟を開催し、自ら「王」を称した。周王室の権威を無視する行為であり、戦国時代の「称王」の先駆けとなった。
馬陵の戦い ── 孫臏と龐涓の宿命の対決
斉の軍師・孫臏が、かつて自分を陥れた魏の将軍・龐涓を馬陵の地で伏兵により討ち取った。「孫臏減竈の計」として知られる名作戦。魏の軍事的覇権が決定的に崩壊した。
商鞅の処刑 ── 車裂の刑
秦の孝公の死後、恵文王が即位すると、旧貴族の恨みを買っていた商鞅は謀反の罪で車裂きの刑に処された。しかし商鞅が築いた法治体制は廃されることなく、秦の国力の源泉であり続けた。
合従連衡の時代 ── 縦横家たちの外交戦
蘇秦の「合従」と張儀の「連衡」に代表される外交戦略が展開された時代。七雄が複雑な同盟と対立を繰り返し、趙の武霊王の胡服騎射や孟嘗君の活躍など、個性的な人物が歴史を彩りました。
紀元前334年徐州相王 ── 斉と魏が互いに王を称する
斉の威王と魏の恵王が徐州で会見し、互いに王号を認め合った。これにより「王」の称号がインフレーション的に拡大し、やがて七国すべてが王を称する時代が到来した。
張儀の連衡策 ── 秦の外交戦略
縦横家・張儀が秦の恵文王の宰相となり、六国の同盟を分断する「連衡」策を展開。各国を個別に秦と結ばせることで合従同盟を瓦解させた。弁舌を武器とする戦国外交の象徴。
秦の恵文王が称王
秦の恵文王が正式に「王」を称した。辺境の後進国とみなされていた秦が名実ともに大国の仲間入りを宣言した歴史的出来事。秦が天下統一への野心を公然と示し始めた。
第一次合従攻秦 ── 五国連合軍の進攻
楚・趙・魏・韓・燕の五国が合従して秦を攻撃。しかし各国の思惑がばらばらで統一的な作戦行動がとれず、函谷関で秦軍に撃退された。合従策の限界を露呈。
秦の巴蜀併合 ── 司馬錯の遠略
秦の将軍・司馬錯が張儀の反対を押し切って巴蜀(現在の四川省)を征服。穀倉地帯を獲得した秦は経済基盤を飛躍的に強化し、天下統一の物質的基盤を築いた。
子之の乱 ── 燕の内乱と斉の侵攻
燕の王・噲が宰相の子之に王位を禅譲するという異例の事態が起き、内乱に発展。斉がこれに乗じて燕を侵攻し一時占領した。この侵略は後に燕の復仇心を育て、楽毅の斉侵攻の遠因となった。
丹陽・藍田の戦い ── 秦と楚の激突
張儀の詐術に怒った楚の懐王が秦に攻め込んだが、丹陽で大敗。逆に秦が楚の漢中を奪取した。楚が反撃して藍田まで迫るも撤退を余儀なくされ、楚の衰退が始まった。
胡服騎射 ── 趙の武霊王の軍制改革
趙の武霊王が北方遊牧民の衣服と騎馬戦術を採用する「胡服騎射」の改革を断行。保守派の猛反対を押し切って実行し、趙の軍事力を飛躍的に高めた。
鶏鳴狗盗 ── 孟嘗君の秦からの脱出
斉の孟嘗君が秦に招かれるも、秦の昭襄王に殺されかけ、食客の助けで脱出。犬の真似をして盗みを働いた者と、鶏の鳴き声を真似た者が関門を通過させた。
楚の懐王、秦に囚われる
秦の昭襄王の招きで武関に赴いた楚の懐王が、秦に拘留された。領土割譲を拒否した懐王は秦で幽閉され、紀元前296年に客死。楚の国威は大きく傷ついた。
函谷関の戦い ── 合従軍が秦を破る
孟嘗君が斉・韓・魏の合従軍を率いて秦を攻撃し、函谷関を突破。秦に領土の割譲を認めさせた、合従策が成功した数少ない事例。
砂丘の変 ── 趙の武霊王の悲劇
胡服騎射の改革者・趙の武霊王が、砂丘の宮殿で後継者争いに巻き込まれ、息子の恵文王の軍に包囲されて餓死した。偉大な改革者の悲劇的な最期。
伊闘の戦い ── 白起の台頭
秦の白起が韓・魏連合軍を伊闘で大破し、24万の敵兵を斬首。戦国時代最強の武将・白起の名を天下に轟かせた戦い。
秦の台頭と列国の衰退 ── 天下統一への胎動
秦の軍事力が圧倒的となり、白起の連勝と長平の戦いで列国が決定的に弱体化した時代。藺相如の外交、屈原の投身、信陵君の救趙など英雄たちの活躍がありましたが、周王朝の滅亡により旧秩序は完全に崩壊しました。
紀元前288年東帝・西帝事件 ── 秦と斉の帝号
秦の昭襄王が「西帝」を称し、斉の湣王に「東帝」を称させようとした。蘇秦の策により斉が帝号を辞退し秦も取り消すという外交的駆け引きが展開された。
楽毅の斉侵攻 ── 五国連合の大遠征
燕の昭王が派遣した名将・楽毅が、秦・趙・韓・魏と連合して斉を侵攻。斉の70余城を陥落させ、残り2城にまで追い詰めた。燕の復仇が実現した大遠征。
完璧帰趙 ── 藺相如と和氏の璧
秦が趙の宝玉「和氏の璧」を15城と交換しようと提案。藺相如が使者として秦に赴き、知略を尽くして璧を無傷で趙に持ち帰った。「完璧」の語源となった故事。
田単の火牛の計 ── 斉の奇跡の復興
斉の将軍・田単が即墨城で火牛の計(牛の角に刃物、尾に火をつけて突撃させる戦術)を用い、燕軍を撃破。失った70余城をすべて奪回し、斉を復興させた。
郢都陥落と屈原の入水
秦の白起が楚の首都・郢を陥落させた。祖国の滅亡を嘆いた詩人・屈原が汨羅江に身を投じて自殺。屈原の命日を偲ぶ端午の節句(端午節)の起源となった。
范雎の遠交近攻策
范雎が秦の昭襄王に「遠くの国と交わり、近くの国を攻める」遠交近攻の戦略を進言。秦の外交方針を根本的に転換させ、天下統一への道筋を示した。
上党の帰属問題 ── 長平の戦いの発端
秦に攻められた韓が上党郡を割譲しようとしたが、上党の太守が趙に帰属することを選択。これが秦と趙の直接対決=長平の戦いの引き金となった。
長平の戦い ── 白起が趙兵40万を坑殺
戦国時代最大の戦い。秦の白起が趙の40万の兵を降伏させた後、全員を生き埋めにする「坑殺」を行った。趙の国力は壊滅的な打撃を受け、秦の天下統一が現実味を帯びた。
邯鄲の戦い ── 信陵君の救趙
秦が趙の首都・邯鄲を包囲。魏の信陵君が「兵符を盗んで」魏軍を動かし趙を救援した。信陵君は戦国四君の筆頭と称される義侠の人。
周王朝の滅亡 ── 東周の終焉
秦が東周君を降伏させ、約800年続いた周王朝が完全に滅亡。九鼎が秦に移され、天下の正統な支配者の象徴が失われた。
呂不韋の台頭 ── 奇貨居くべし
商人出身の呂不韋が、秦の人質だった公子異人(後の荘襄王)に投資し、その即位に成功。「奇貨居くべし(珍しい品は買い置きすべきだ)」の故事の由来。
呂不韋が秦の丞相となる
荘襄王の即位により、呂不韋が秦の丞相に就任。『呂氏春秋』を編纂し、「一字千金」の逸話でも知られる。商人から一国の宰相に上り詰めた異色の人物。
秦王政の即位 ── 始皇帝の登場
13歳の嬴政が秦王に即位。呂不韋が摂政として実権を握ったが、やがて政は親政を開始し、天下統一という前人未踏の大事業に乗り出す。
天下統一への道 ── 秦の六国併呑
秦王政が親政を開始し、わずか17年で六国を次々と滅ぼして天下を統一。韓非子の法家思想、荊軻の暗殺未遂など劇的な事件を経て、中国史上初の統一帝国が誕生しました。
紀元前238年嫪毐の乱と秦王政の親政
秦王政の母・太后の愛人である嫪毐が反乱を起こすが鎮圧される。これを機に政は呂不韋を罷免し、22歳で完全な親政を開始。天下統一への意志を明確にした。
逐客令と李斯の諫言
秦で外国人官僚を追放する「逐客令」が発布されるが、楚出身の李斯が「諫逐客書」を上奏して撤回させた。人材こそ国力の源泉であるという名論。
韓非子の死 ── 法家思想の悲劇
法家思想の大成者・韓非子が秦に招かれるも、李斯の讒言により投獄され、毒を飲んで死亡。秦王政はその著作に深く心酔しながら、著者本人を失うこととなった。
秦の韓滅亡 ── 統一戦争の開始
秦が戦国七雄の中で最も弱小な韓を最初に滅ぼし、天下統一戦争の幕を切った。韓の領土は秦の潁川郡となった。
秦の趙滅亡と荊軻の暗殺未遂
秦の王翦が趙の首都・邯鄲を陥落させ趙を滅亡させた。同年、燕の太子丹が刺客・荊軻を秦王政の暗殺に送り込むが失敗。「風蕭蕭として易水寒し」の名句で知られる。
秦の魏滅亡 ── 大梁水攻め
秦の王賁が黄河の水を引いて魏の首都・大梁を水攻めにし、城壁が崩壊。魏王が降伏して魏は滅亡した。水攻めによる都市攻略の代表的な事例。
秦の楚滅亡 ── 王翦の大遠征
秦の老将・王翦が60万の大軍を率いて楚を攻略。若将軍・李信の失敗を受けて起用された王翦は、持久戦で楚軍を疲弊させて撃破した。
秦の燕・代滅亡
秦が燕の残存勢力と趙の残党・代を滅ぼした。荊軻の暗殺未遂以来、秦の報復を恐れていた燕は最後まで抵抗したが力及ばなかった。
天下統一 ── 秦王政が始皇帝となる
最後に残った斉を降伏させ、秦が史上初の中国統一を達成。秦王政は「皇帝」の称号を創設し、始皇帝として中央集権国家を築いた。戦国時代の終焉。
戦国時代 年表一覧
戦国時代の主要な出来事50件を年代順にまとめました。各出来事をクリックすると詳細ページに移動します。
| 年代 | 出来事 | 時期 | 関連する故事成語 |
|---|---|---|---|
| 前453 | 晋陽の戦い・智伯の滅亡 | 三晋と変法 | 唇亡歯寒 |
| 前403 | 三家分晋 | 三晋と変法 | — |
| 前396 | 李悝の変法 | 三晋と変法 | — |
| 前389 | 陰晋の戦い | 三晋と変法 | — |
| 前386 | 田氏代斉 | 三晋と変法 | — |
| 前381 | 呉起の死 | 三晋と変法 | — |
| 前376 | 晋の滅亡 | 三晋と変法 | — |
| 前371 | 魏の恵王即位・大梁遷都 | 三晋と変法 | — |
| 前362 | 秦の孝公即位・求賢令 | 三晋と変法 | — |
| 前356 | 商鞅の第一次変法 | 三晋と変法 | 徙木立信 |
| 前354 | 桂陵の戦い | 三晋と変法 | 囲魏救趙 |
| 前350 | 商鞅の第二次変法・咸陽遷都 | 三晋と変法 | — |
| 前344 | 逢沢の会盟 | 三晋と変法 | — |
| 前341 | 馬陵の戦い | 三晋と変法 | 減竈の計 |
| 前338 | 商鞅の処刑 | 三晋と変法 | — |
| 前334 | 徐州相王 | 合従連衡 | — |
| 前328 | 張儀の連衡策 | 合従連衡 | — |
| 前325 | 秦の恵文王が称王 | 合従連衡 | — |
| 前318 | 第一次合従攻秦 | 合従連衡 | — |
| 前316 | 秦の巴蜀併合 | 合従連衡 | — |
| 前314 | 子之の乱 | 合従連衡 | — |
| 前312 | 丹陽・藍田の戦い | 合従連衡 | — |
| 前307 | 胡服騎射 | 合従連衡 | 胡服騎射 |
| 前302 | 孟嘗君の脱出 | 合従連衡 | 鶏鳴狗盗 |
| 前299 | 楚の懐王、秦に囚われる | 合従連衡 | — |
| 前298 | 函谷関の戦い | 合従連衡 | — |
| 前296 | 砂丘の変 | 合従連衡 | — |
| 前293 | 伊闘の戦い | 合従連衡 | — |
| 前288 | 東帝・西帝事件 | 秦の台頭 | — |
| 前284 | 楽毅の斉侵攻 | 秦の台頭 | — |
| 前283 | 完璧帰趙 | 秦の台頭 | 完璧 |
| 前279 | 田単の火牛の計 | 秦の台頭 | 火牛の計 |
| 前278 | 郢都陥落・屈原の入水 | 秦の台頭 | 端午の節句 |
| 前270 | 范雎の遠交近攻策 | 秦の台頭 | 遠交近攻 |
| 前262 | 上党の帰属問題 | 秦の台頭 | — |
| 前260 | 長平の戦い | 秦の台頭 | 紙上談兵 |
| 前259 | 邯鄲の戦い | 秦の台頭 | 竊符救趙 |
| 前256 | 周王朝の滅亡 | 秦の台頭 | — |
| 前251 | 呂不韋の台頭 | 秦の台頭 | 奇貨居くべし |
| 前249 | 呂不韋が丞相となる | 秦の台頭 | 一字千金 |
| 前247 | 秦王政の即位 | 秦の台頭 | — |
| 前238 | 嫪毐の乱・秦王政の親政 | 天下統一 | — |
| 前237 | 逐客令と李斯の諫言 | 天下統一 | — |
| 前233 | 韓非子の死 | 天下統一 | — |
| 前230 | 秦の韓滅亡 | 天下統一 | — |
| 前228 | 趙滅亡・荊軻の暗殺未遂 | 天下統一 | 易水の歌 |
| 前225 | 秦の魏滅亡 | 天下統一 | — |
| 前223 | 秦の楚滅亡 | 天下統一 | — |
| 前222 | 秦の燕・代滅亡 | 天下統一 | — |
| 前221 | 天下統一・始皇帝 | 天下統一 | — |