「この人となら、どんな困難も乗り越えられる」——そんな相手に出会えたことはありますか。仕事でもプライベートでも、心から信頼し合える関係はそう多くはありません。今回は、そんなかけがえのない絆を表す故事成語「水魚の交わり(すいぎょのまじわり)」をご紹介します。
「水魚の交わり」の意味
「水魚の交わり」とは、水と魚のように切り離すことのできない、きわめて親密な関係のことをいいます。魚は水がなければ生きられません。その関係になぞらえて、互いになくてはならない存在同士の深い信頼関係を表しています。
単なる「仲良し」とは少しニュアンスが違います。ポイントは次の3つです。
- 離れがたい関係:一方が欠けると、もう一方も本来の力を発揮できない
- 深い信頼:損得ではなく、理解と尊敬で結ばれている
- もともとは君臣の関係:立場を超えた結びつきを指す言葉だった
友人同士だけでなく、上司と部下、経営者と参謀のような「立場の違う二人」にも使えるのが、この言葉の面白いところです。
故事成語ができた経緯・歴史
この言葉が生まれたのは、今から約1800年前の中国・三国時代。登場するのは、劉備(りゅうび)と諸葛亮(しょかつりょう/孔明)という、あまりにも有名な二人です。
当時の劉備は、天下取りを目指しながらも拠点を持てずにいた苦しい時期。そこで「臥竜(がりょう)」と呼ばれる若き天才・諸葛亮を訪ね、三度も足を運んでようやく仲間に迎えます(これが「三顧の礼」です)。
ところが、劉備が諸葛亮とばかり親密に語り合うので、古参の家臣たちが面白くありません。特に、若い頃から劉備と苦楽をともにしてきた関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)が不満を漏らしました。「あとから来た若者に、なぜあれほど肩入れするのか」と。
そのとき劉備が答えたのが、「孤(こ)に孔明あるは、猶(なお)魚の水あるがごとし」という言葉でした。「私にとって孔明は、魚にとっての水と同じなのだ」——つまり、彼なしでは自分は生きていけない、と言い切ったのです。この一言で二人は納得したと伝えられています。
年齢差は20歳、身分も経歴もまったく違う二人。それでも劉備は、諸葛亮を「自分に欠けたものを補ってくれる存在」として全面的に信頼しました。この逸話が「水魚の交わり」という言葉として、現代まで語り継がれています。
ビジネスシーンでの使い方(例文3つ)
やや格式のある言葉なので、スピーチや挨拶、社内報などで使うとぴったりはまります。具体的な例文を見てみましょう。
例文1:創業パートナーを紹介するとき
「専務とは創業以来20年、水魚の交わりで会社を支えてきました。技術は彼、営業は私。どちらが欠けても、今日の当社はありません。」
例文2:取引先との関係を語るとき
「A社さんとは単なる発注者と受注者ではなく、水魚の交わりと呼べる関係を築いてきました。だからこそ、無理なお願いも本音で相談できるのです。」
例文3:後任者への引き継ぎの場で
「新しいプロジェクトリーダーと現場のみなさんが、水魚の交わりと言えるチームになることを願っています。」
使うときの注意点として、自分から「私たちは水魚の交わりです」と言うと、やや自慢に聞こえることがあります。相手を立てる形や、第三者の関係を評する形で使うと自然です。
原文の出典
- 書名:『三国志』蜀書・諸葛亮伝(陳寿 撰/3世紀後半成立)
- 関連:『十八史略』などにも同様の逸話が収録されています
原文
孤之有孔明、猶魚之有水也。願諸君勿復言。
読み下し文
孤(こ)の孔明あるは、猶(なお)魚の水あるがごときなり。願わくは諸君、復(ま)た言うこと勿(な)かれ。
「孤」は君主が自分を指す一人称です。現代語に訳すと「私に孔明がいるのは、魚に水があるようなものだ。どうか諸君、もうこれ以上言わないでほしい」となります。家臣の不満をやわらかく、しかしきっぱりと退けた劉備の言葉です。
まとめ
「水魚の交わり」は、互いに欠かせない存在同士の深い信頼関係を表す言葉です。劉備が家臣の反発を前に、それでも諸葛亮への信頼を言葉にしたからこそ、この関係は形になりました。
信頼は、黙っていても伝わるものではありません。あなたの会社にも「この人がいるから成り立っている」という相手がいるはずです。ときには言葉にして伝えてみると、関係はもう一段深まるかもしれません。


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