軽太子と軽大郎女 の挿絵
軽太子と軽大郎女
原文(書き下し文)
……天皇(すめらみこと)既(すで)に崩(かむあが)りまして後(のち)、木梨之軽太子(きなしのかるのひつぎのみこ)、日継(ひつぎ)知らすに定まれるを、未だ位に即(つ)かざる間(あひだ)に、其の伊呂妹(いろも)軽大郎女(かるのおほいらつめ)に奸(たは)けて……
あしひきの 山田を作り 山高(やまだか)み 下樋(したび)を走(わし)せ 下(した)泣きに 吾(あ)が泣く妻を 今夜(こぞ)こそは 易(やす)く肌触(はだふ)れ。
現代語訳

第十九代・允恭(いんぎょう)天皇には、世継ぎと定められた皇太子軽太子(かるのみこ/木梨之軽太子)がいました。そして同じ母から生まれた妹に、軽大郎女(かるのおおいらつめ)という、衣を通して肌が輝いて見えるほど美しい姫がいました。世の人は彼女を「衣通郎女(そとおりのいらつめ)」とも呼んだといいます。

軽太子は、この実の妹を、抑えがたいほど深く愛してしまいました。けれど、同じ母を持つ兄妹の契りは、固く禁じられた大きな罪。それでも二人は人目を忍んで結ばれ、軽太子はその切ない想いを歌に託します。「山あいの田に、地中の樋(とい)をひそかに走らせるように、人知れず泣いて恋い慕ってきた妻――今夜こそ、心おきなく寄り添える」。

やがて、この秘めごとは世に知れわたってしまいます。允恭天皇が亡くなり、軽太子がいよいよ即位しようというその時、人々の心はすでに彼から離れ、弟の穴穂御子(あなほのみこ/のちの安康天皇)のもとへと集まっていました。軍勢に追いつめられた軽太子は、ついに捕らえられ、はるか海の向こうの伊予(いよ/愛媛)の地へと流されることになります。

別れにのぞんで、軽太子は最後の歌を残しました。「天空ゆく軽(かる)の少女よ……激しく泣けば人に知られてしまうから、波佐(はさ)の山の鳩のように、声を忍ばせて泣いてきたのだ」。そして遠い流刑の地へと去っていきました。

あとに残された軽大郎女は、恋しさに耐えきれず、ついに兄のあとを追って伊予へと旅立ちます。再会した二人は、互いへの想いを歌に詠み交わしました。長い別れと、つかのまの再会と、もはや戻れぬ運命と――。そして二人は、ともに自ら命を絶ち、この世での結ばれぬ愛を、死によって全うしたのです。後の世の人々は、この悲しい恋の歌の数々を、いつまでも語り伝えました。

この段に登場する人物

軽太子
木梨之軽太子。允恭天皇の皇太子。同母妹を愛したことで王位を失い、伊予へ流される。
軽大郎女
軽大郎女(衣通郎女)。軽太子の同母妹。絶世の美女。兄を追い、ともに果てる。
穴穂御子
のちの安康天皇。軽太子の弟。人々に推されて王位を継ぐ。
解説

「民のかまど」の理想の聖帝とは対照的に、古事記がここで描くのは、禁忌(タブー)を犯して破滅する皇子の悲劇です。光と影、聖と俗――下巻は、天皇という存在を、善きにつけ悪しきにつけ、ありのままの「人間」として描き出します。

古代において、同じ母を持つ兄妹の結婚は、最も重い禁忌でした(母が違えば許される場合もありました)。それを犯した軽太子が、王位を継ぐ資格を失い、共同体から排除されていく過程は、古代社会の掟(おきて)の厳しさを物語っています。神を侮った仲哀天皇、掟を破った軽太子――「ことわりに背いた者は身を滅ぼす」という、古事記を貫く一つの主題がここにも流れています。

しかしこの物語が今も胸を打つのは、罪の物語であると同時に、滅びることを承知で貫かれた、純粋な愛の物語でもあるからです。二人がやりとりした数々の相聞歌(そうもんか=恋の歌)は、古事記のなかでもとりわけ美しく、後世の和歌に大きな影響を与えました。「衣通(そとおり)」の名は、のちに和歌の女神のように慕われ、罪深い恋はいつしか、悲しくも気高い愛として語り継がれていったのです。
次は、この時代に現れた、強烈な個性を放つ大王(おおきみ)――雄略天皇の物語です。