仁徳天皇 民のかまど の挿絵
仁徳天皇 民のかまど
原文(書き下し文)
天皇(すめらみこと)、高山(たかやま)に登りて、四方(よも)の国を見たまひて詔(の)りたまはく、「国中(くぬち)に烟(けぶり)発(た)たず。国皆(みな)貧窮(まづ)し。かれ今より三年(みとせ)に至るまで、悉(ことごと)に人民(おほみたから)の課(おほせ)・役(えだち)を除(ゆる)せ」とのりたまひき。
……故(かれ)、天の下太平(たひら)かにして、人民(おほみたから)富み栄えき。是を以て其の御世(みよ)を称(たた)へて、聖帝(ひじりのみかど)の世とまをすなり。
現代語訳

応神天皇のあとを継いだ第十六代・仁徳天皇(にんとくてんのう)。あるとき天皇が高い山に登り、四方の国々を見わたすと、不思議なことに気がつきました。どの家からも、かまどの煙が立ちのぼっていないのです。

天皇は悟りました。「民のかまどから煙が立たないのは、炊くものさえないほど、人々が貧しいからだ。都の近くでこのありさまなら、遠い地方はもっと苦しいにちがいない」。そして、こう命じます。「今から三年のあいだ、すべての民の税と労役(ろうえき)を、いっさい免じよ」。

税が免じられたあいだ、宮殿はみるみる荒れていきました。屋根は破れ、雨が降れば室内に漏れてくる。それでも天皇は新しく葺(ふ)きなおすことをせず、漏る雨を器で受けながら、濡れない場所に身を移してしのぎました。自分の暮らしを切りつめても、民の暮らしが立ち直るのを、じっと待ったのです。

やがて三年がたち、ふたたび天皇が国を見わたすと――今度は国じゅうに、かまどの煙がもうもうと立ちのぼっていました。天皇は后にこう言って喜びました。「私はもう豊かになった。何の心配もない」。后が「宮殿はこんなに荒れ放題なのに、どうして豊かだと仰るのですか」と尋ねると、天皇は答えます。「民が豊かであることが、すなわち私が豊かだということなのだ」。

その後さらに三年がたって、ようやく税を再開しました。すると民は、長く慈しんでくれた天皇の恩に報いようと、誰に命じられるでもなく我先に集まり、たちまち立派な宮殿を造りあげたといいます。この天皇の御世を、人々は「聖帝(ひじりのみかど)の世」とたたえました。

この段に登場する人物

仁徳天皇
大雀命(おほさざき)。第十六代天皇。応神天皇の子。善政により「聖帝」とたたえられる。世界最大級の陵墓(大山古墳)の主とも伝わる。
かまど
飯を炊くための竈(かまど)。その煙の有無が、人々の暮らしの豊かさをそのまま映し出す。
解説

下巻は、神話的な英雄譚から一転して、「人を治める王とはどうあるべきか」という、より人間的なテーマを描いていきます。その筆頭がこの仁徳天皇。「民のかまど」は、為政者の理想像を語る物語として、古くから語り継がれてきました。

この物語の核心は、「民の富こそ、王の富である」という一節に尽きます。自分の宮殿が雨漏りするのを我慢してでも、民の暮らしを優先する。豊かさを独り占めするのではなく、民と分かち合ってこそ王は豊かになる――この考え方は、その後の日本の「仁政(じんせい)」の理想として、長く受け継がれていきました。「仁徳」という名にも、その徳がこめられています。

仁徳天皇は、大阪に今も残る巨大な前方後円墳(大山古墳・伝仁徳天皇陵)の主と伝えられる人物でもあります。一方で古事記は、嫉妬深い皇后イワノヒメとのやりとりなど、人間味あふれる逸話も多く記しており、神ではなく「人」としての天皇像がいきいきと描かれるのが下巻の魅力です。
理想の聖帝のあとに古事記が記すのは、うって変わって、許されぬ恋に身を滅ぼす皇子の悲劇――次の「軽太子と軽大郎女」です。