……かれ、一つ火(び)ともして入り見たまふ時、うじたかれころろきて、……ここに伊邪那岐命、見畏(みかしこ)みて逃げ還(かへ)りたまふ。
たくさんの神を生んだイザナミは、最後に火の神を生んだときに体を焼かれ、ついに亡くなってしまいました。妻を失ったイザナギは、悲しみのあまり、彼女を追って死者の国――黄泉の国(よみのくに)へと旅立ちます。
暗い御殿の戸ごしに、イザナギは呼びかけました。「いとしい妻よ。わたしとお前で造りかけた国は、まだ完成していない。どうか帰ってきておくれ」。するとイザナミは答えます。「もっと早く来てくださればよかったのに。わたしはもう、黄泉の国の食べ物を口にしてしまいました。けれど、お慕わしいあなたのために、帰れるかどうか、黄泉の神に相談してみましょう。その間、けっしてわたしの姿を見ないでください」。
けれど、待ちきれなくなったイザナギは、約束を破って御殿の中をのぞいてしまいます。そこにいたのは――変わり果て、体に蛆(うじ)がたかり、おそろしい雷神たちをまとった妻の姿でした。恐れおののいたイザナギは、思わず逃げ出します。「よくも恥をかかせましたね」とイザナミは怒り、黄泉の魔女たちや雷神を放って夫を追わせました。
必死で逃げたイザナギは、黄泉と現世の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)を、巨大な岩でふさぎました。岩をはさんで、二神は最後の言葉を交わします。イザナミは「あなたの国の人を、一日に千人殺しましょう」と言い、イザナギは「ならば、わたしは一日に千五百の産屋を建てよう」と答えました。こうして二人は永遠に別れ、人が日々死に、それ以上に日々生まれるこの世のことわりが定まったのです。
この段のキーワード
- 黄泉の国
- 死者がおもむく地下の世界。「よみ」は「闇(やみ)」に通じるとも。
- 黄泉戸喫
- よもつへぐい。黄泉の火で煮た食べ物を口にすること。これを食べると現世に戻れなくなる。
- 黄泉比良坂
- よもつひらさか。生と死の世界の境となる坂。現世側はのちの禊(みそぎ)の舞台へ。
古事記のなかでも、もっとも人間くさく、切ない物語です。世界を生み出した万能の神でさえ、愛する者の死には抗えない。そして、死者を見てしまったことで、いとしい人が恐ろしいものに変わる――生と死をへだてる、深い断絶がここに描かれます。
「見てはいけない」と言われたのに見てしまう、という展開は、世界中の神話や昔話に共通するモチーフです(ギリシャ神話のオルフェウスもそうですね)。禁を破った者は、大切なものを永遠に失う。この物語も、その普遍的なかたちを持っています。
ラストの「千人殺す/千五百生む」というやりとりは、神話でありながら、死と誕生がたえず繰り返されるこの世界の仕組みを説明しています。差し引きすれば、生まれる命のほうが多い――そこに、いのちへの肯定がにじみます。
このあとイザナギは、黄泉の穢(けが)れを洗い清めるために禊(みそぎ)を行います。その水のなかから、太陽の女神アマテラスをはじめとする三柱の貴い神が生まれ、物語は次の段へと続いていきます。