Ming & Qing Dynasties

明・清
近世の繁栄と苦難

1368年〜1912年 ── 朱元璋が漢民族の王朝・明を復興し、紫禁城と鄭和の大航海で世界に威光を放った。満洲族の清は康煕・雍正・乾隆の盛世で史上最大の版図を築くも、アヘン戦争で列強に屈し、辛亥革命で帝制が終焉。50の出来事で550年を読み解く。

明清時代は、中国の歴史における最後の帝政期であり、約550年にわたる近世の大時代です。乞食から皇帝に成り上がった朱元璋(洪武帝)が漢民族の王朝・明を建国し、永楽帝の時代に鄭和の大航海と紫禁城の建設で帝国は世界に冠たる存在となりました。

しかし明は宦官の専横、党争、財政難に苦しみ、李自成の反乱で1644年に滅亡。満洲族の清がこれに代わり、康煕帝・雍正帝・乾隆帝の「康乾盛世」で中国史上最大の領土と繁栄を実現しました。

19世紀に入ると西洋列強の侵略にさらされ、アヘン戦争、太平天国の乱、日清戦争と屈辱が続きます。洋務運動、戊戌の変法、義和団事件を経て、1911年の辛亥革命で清は滅亡し、2000年以上続いた中国の帝政は幕を閉じました。

このページでは、明清時代の主要な出来事50件を4つの時期に分けて紹介しています。各出来事のカードをクリックすると、詳細な解説ページに移動します。
Period I : 1368–1449

明の建国と永楽の栄光 ── 漢民族王朝の復興

朱元璋が元を駆逐して明を建国し、厳格な専制体制を構築。永楽帝は紫禁城を建設し、鄭和の大航海でインド洋に威光を放ちました。土木の変で英宗がオイラトの捕虜となるまでの栄光の時代。

1368年

明の建国 ── 洪武帝の即位

乞食僧から身を起こした朱元璋が南京で皇帝に即位し、明を建国。北伐軍が元を駆逐し、漢民族の王朝を約270年ぶりに復興した。

朱元璋洪武帝明の建国南京漢民族復興
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1380年

胡惟庸の獄 ── 宰相制度の廃止

洪武帝が宰相・胡惟庸を謀反の罪で処刑し、1500年以上続いた宰相制度を廃止。皇帝が直接六部を統轄する空前の独裁体制を構築。

胡惟庸宰相廃止洪武帝独裁体制粛清
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1382年

錦衣衛の設置 ── 恐怖政治の始まり

洪武帝が秘密警察「錦衣衛」を設置し、臣下の監視と弾圧を強化。後に東廠・西廠と並ぶ明代の恐怖政治の象徴。

錦衣衛秘密警察洪武帝恐怖政治監視
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1398年

洪武帝の崩御と建文帝の即位

中国史上最も厳格な皇帝・洪武帝が71歳で崩御。孫の建文帝が即位したが、削藩策が叔父たちの反発を招き、靖難の変の引き金に。

洪武帝崩御建文帝削藩策後継問題靖難の変
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1399年

靖難の変 ── 永楽帝のクーデター

燕王・朱棣が甥の建文帝に対して挙兵し、3年の内戦の末に南京を制圧。建文帝は行方不明となり、朱棣が永楽帝として即位した。

靖難の変永楽帝朱棣建文帝内戦
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1403年

永楽帝の即位と北京遷都の決断

永楽帝が即位し、自らの根拠地であった北京への遷都を決断。永楽大典の編纂を命じ、帝国の威光を内外に示す大事業に着手した。

永楽帝北京遷都永楽大典大事業帝国の威光
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1405年

鄭和の大航海 ── 南海遠征の始まり

宦官・鄭和が2万7千人、62隻の大艦隊を率いて第一次南海遠征に出発。コロンブスの87年前に、アフリカ東岸まで到達する壮大な航海。

鄭和大航海南海遠征宝船アフリカ
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1406年

紫禁城の建設 ── 世界最大の宮殿

永楽帝が北京に紫禁城の建設を開始。東西753m、南北961mの広大な宮殿群は、明清二代にわたり約500年間皇帝の居城となった。

紫禁城故宮永楽帝北京世界遺産
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1410年

永楽帝のモンゴル親征

永楽帝が自ら50万の大軍を率いてモンゴルに親征。五度にわたるモンゴル遠征は北方の脅威を抑え込んだが、莫大な軍費を消耗した。

永楽帝モンゴル親征50万北方防衛
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1421年

北京遷都の完成

紫禁城が完成し、永楽帝は正式に北京に遷都。以後約500年にわたり、北京は中国の首都として君臨することになる。

北京遷都紫禁城完成永楽帝首都天子守辺
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1424年

永楽帝の崩御 ── 大帝の最期

永楽帝が五度目のモンゴル遠征の帰途、榆木川で崩御。紫禁城・鄭和の大航海・永楽大典・北京遷都を成し遂げた大帝の死。

永楽帝崩御榆木川65歳大帝の最期遺産
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1433年

鄭和の最後の航海 ── 大航海時代の終焉

鄭和の第七次航海を最後に、明は海洋進出を停止。コロンブス以前に世界最大の艦隊を誇った中国の大航海時代は、ここで幕を閉じた。

鄭和第七次航海海禁大航海終焉歴史のif
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1449年

土木の変 ── 英宗のオイラト捕虜

英宗がオイラト(西モンゴル)のエセン・ハーンに土木堡で大敗し、皇帝自身が捕虜となる前代未聞の大事件。靖康の変以来の国辱。

土木の変英宗エセンオイラト皇帝の捕虜
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Period II : 1457–1644

明の衰亡 ── 宦官・倭寇・党争・滅亡

英宗復位後の明は宦官の専横、北虜南倭の脅威、東林党と閹党の党争に苦しみます。万暦帝の怠政で国力は衰退し、ヌルハチの後金と李自成の農民反乱に挟撃されて1644年に滅亡しました。

1457年

奪門の変 ── 英宗の復位

オイラトから帰還して幽閉されていた英宗が、クーデター「奪門の変」で景泰帝から帝位を奪い返した。明代最大の宮廷政変。

奪門の変英宗景泰帝復位宮廷政変
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1487年

弘治中興 ── 明の中興の治

孝宗(弘治帝)が宦官を抑え、賢臣を登用して「弘治中興」と呼ばれる善政を実現。一夫一妻を貫いた珍しい皇帝としても知られる。

弘治中興孝宗善政一夫一妻中興
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1510年

劉瑾の専横と処刑 ── 宦官の権力

正徳帝の寵愛を受けた宦官・劉瑾が絶大な権力を握り「立皇帝」と呼ばれたが、謀反の罪で凌遅刑(3日かけての処刑)に処された。

劉瑾宦官正徳帝凌遅刑立皇帝
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1521年

大礼の議 ── 嘉靖帝と儒臣の対立

傍系から即位した嘉靖帝が実父の廟号をめぐり儒臣と激しく対立した「大礼の議」。皇帝権と儒教原理の衝突は明の政治を大きく揺るがした。

大礼の議嘉靖帝廟号儒臣皇帝権
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1550年

庚戌の変 ── モンゴルの北京包囲

モンゴルのアルタン・ハーンが北京城外に迫り略奪を行った「庚戌の変」。北方防衛の脆弱さが露呈し、以後長城の大規模修復が行われた。

庚戌の変アルタン・ハーン北京包囲長城北虜
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1557年

マカオのポルトガル租借 ── 西洋との接触

ポルトガルがマカオに居留地を確保し、東西貿易の拠点とした。ヨーロッパ勢力が中国に足場を築いた最初の出来事。

マカオポルトガル西洋貿易東西接触
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1572年

万暦帝の即位と張居正の改革

10歳で即位した万暦帝を補佐した張居正が、「一条鞭法」などの大改革で財政を立て直した。明代最後の偉大な宰相。

万暦帝張居正一条鞭法改革財政再建
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1582年

マテオ・リッチの来華 ── 東西文明の邂逅

イエズス会宣教師マテオ・リッチが中国に到着し、西洋の科学・数学・地理学を伝えた。「坤輿万国全図」で中国人の世界認識を一変させた。

マテオ・リッチイエズス会坤輿万国全図東西交流科学
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1592年

万暦の三大征 ── 朝鮮出兵

万暦帝が朝鮮に援軍を送り、豊臣秀吉の侵略軍を撃退した「万暦朝鮮の役」。日本では文禄・慶長の役として知られる東アジア大戦。

万暦の三大征朝鮮出兵豊臣秀吉文禄慶長東アジア
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1616年

ヌルハチの後金建国

女真族の首長・ヌルハチが八旗制度を整え「後金」を建国。「七大恨」を掲げて明に宣戦し、満洲族による中国征服の第一歩を踏み出した。

ヌルハチ後金八旗七大恨女真族
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1627年

明末の農民反乱 ── 李自成の台頭

陝西の大飢饉を背景に李自成・張献忠ら農民反乱軍が蜂起。明は後金と農民軍の二正面作戦を強いられ、崩壊への道を歩み始めた。

李自成張献忠農民反乱大飢饉明の崩壊
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1644年

明の滅亡 ── 崇禎帝の自殺と李自成の入京

李自成が北京を占領し、最後の皇帝・崇禎帝は景山で首を吊って自殺した。「朕は薄徳にして天の怒りを招いた」── 276年の明が滅亡。

明の滅亡崇禎帝李自成景山276年
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1644年

山海関の戦いと清の入関

明の将軍・呉三桂が清に降伏して山海関を開き、清軍が中国本土に侵入。李自成を駆逐し、清の中国支配が始まった歴史的転換点。

山海関呉三桂清の入関李自成歴史的転換
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Period III : 1645–1799

清の建国と康乾盛世 ── 最後の盛世

薙髪令と江南の抵抗を経て清が中国全土を支配。鄭成功の台湾奪還、三藩の乱を平定した康煕帝に始まり、雍正帝・乾隆帝の「康乾盛世」で帝国は史上最大の版図と繁栄を享受しました。

1645年

薙髪令と江南の抵抗

清が漢人に満洲式の辮髪を強制する「薙髪令」を発布。「髪を留むれば頭を留めず」── 江南では嘉定三屠・揚州十日など激しい抵抗と虐殺が起きた。

薙髪令辮髪嘉定三屠揚州十日江南の抵抗
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1661年

鄭成功の台湾奪還 ── 国姓爺の偉業

鄭成功がオランダ東インド会社を駆逐して台湾を奪還。「国姓爺」と呼ばれた明の遺臣の壮大な反清活動の拠点となった。

鄭成功台湾国姓爺オランダ反清
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1673年

三藩の乱 ── 康煕帝の試練

呉三桂・尚可喜・耿精忠の三藩が清に反乱。8年にわたる大乱を20歳の康煕帝が鎮圧し、清の中国支配を確立した。

三藩の乱呉三桂康煕帝8年の大乱中国支配確立
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1689年

ネルチンスク条約 ── 中露初の国際条約

清とロシアがネルチンスクで国境条約を締結。中国が西洋国家と対等に結んだ最初の近代的国際条約。

ネルチンスク条約清露関係国際条約康煕帝国境画定
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1722年

康煕帝の崩御 ── 61年の治世

中国史上最長の61年間在位した康煕帝が崩御。三藩の乱鎮圧、台湾の統一、対露外交、文化事業など空前の業績を残した名君。

康煕帝61年崩御名君康煕字典
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1723年

雍正帝の即位と政治改革

雍正帝が厳格な行政改革を断行。火耗帰公・養廉銀制度で財政を健全化し、軍機処を設置して皇帝権を史上最高レベルに強化した。

雍正帝軍機処行政改革火耗帰公皇帝独裁
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1735年

乾隆帝の即位 ── 最後の盛世

乾隆帝が即位し、60年にわたる「乾隆の治」が始まる。十全武功と称される軍事遠征で帝国の版図は史上最大に達した。

乾隆帝十全武功60年の治世版図最大最後の盛世
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1757年

広州一港制限と海禁政策

乾隆帝が対外貿易を広州一港に制限する「一口通商」を実施。公行(コーホン)を通じた管理貿易は、後のアヘン戦争の遠因となった。

一口通商広州公行海禁アヘン戦争の伏線
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1771年

四庫全書の編纂

乾隆帝が中国史上最大の叢書「四庫全書」の編纂を命じた。約3500種・7万9千巻に及ぶ壮大な文化事業だが、禁書の焼却も同時に行われた。

四庫全書乾隆帝叢書文化事業禁書
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1793年

マカートニー使節団 ── 英中の邂逅

英国のマカートニー卿が乾隆帝に謁見し通商拡大を求めたが、乾隆帝は「天朝に欠けるものなし」と拒絶。東西の認識の断絶を象徴する事件。

マカートニー乾隆帝英国通商拒絶天朝
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1796年

白蓮教の乱 ── 清の衰退の始まり

白蓮教徒が湖北・四川・陝西で大規模な反乱を起こし、鎮圧に9年を要した。清の軍事力の弱体化を露呈し、衰退の始まりを告げた。

白蓮教の乱清の衰退農民反乱軍事弱体化9年
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1799年

乾隆帝の崩御と和珅の処刑

太上皇・乾隆帝が89歳で崩御。嘉慶帝は即座に寵臣・和珅を逮捕し自殺を命じた。和珅の蓄財は国庫の15年分に相当したとされる。

乾隆帝崩御和珅嘉慶帝腐敗康乾盛世の終焉
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Period IV : 1839–1912

清の衰退と滅亡 ── 列強の侵略と帝制の終焉

アヘン戦争で西洋列強の前に屈し、太平天国の乱で国土は荒廃。洋務運動・戊戌の変法による近代化の試みも挫折し、義和団事件・日清戦争の敗北を経て、辛亥革命で2000年の帝制に幕が下ろされました。

1839年

林則徐のアヘン没収

欽差大臣・林則徐が広州で外国商人からアヘン2万箱を没収し焼却。アヘンの害を根絶しようとする断固たる措置がアヘン戦争の引き金に。

林則徐アヘン虎門没収アヘン戦争の引き金
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1840年

アヘン戦争 ── 近代の衝撃

英国が軍艦を派遣してアヘン戦争を開始。圧倒的な軍事力の差に清は完敗し、中国は屈辱の近代史へと突入した。

アヘン戦争英国近代の衝撃軍事力の差清の敗北
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1842年

南京条約 ── 不平等条約の始まり

清が英国と南京条約を締結し、香港の割譲、五港の開港、賠償金の支払いを受け入れた。中国における不平等条約体制の始まり。

南京条約香港割譲不平等条約五港開港半植民地化
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1851年

太平天国の乱 ── 洪秀全の蜂起

キリスト教の影響を受けた洪秀全が「太平天国」を建国し、南京を占領。14年にわたる大乱で2000万人以上が死亡した人類史上最大の内戦。

太平天国洪秀全南京2000万人最大の内戦
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1856年

アロー戦争 ── 第二次アヘン戦争

アロー号事件を口実に英仏連合軍が清に宣戦。天津条約と北京条約で清はさらなる主権の喪失を強いられた。

アロー戦争英仏連合天津条約北京条約主権喪失
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1860年

円明園の焼き討ち

英仏連合軍が北京を占領し、乾隆帝が建設した離宮・円明園を略奪・焼却した。「東洋のヴェルサイユ」と呼ばれた壮麗な庭園の壊滅。

円明園焼き討ち英仏連合略奪文化財破壊
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1861年

洋務運動の開始 ── 「中体西用」

曽国藩・李鴻章・左宗棠らが「中体西用」を掲げて西洋の軍事技術を導入する洋務運動を開始。近代化への最初の本格的な試み。

洋務運動中体西用曽国藩李鴻章近代化
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1894年

日清戦争 ── 東アジアの激変

朝鮮の支配権をめぐり日本と清が開戦。清の北洋艦隊は壊滅し、下関条約で台湾を割譲。洋務運動の失敗が露呈した。

日清戦争北洋艦隊下関条約台湾割譲東アジアの激変
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1898年

戊戌の変法 ── 百日維新

光緒帝が康有為・梁啓超らの進言で立憲君主制への改革を試みたが、西太后のクーデターでわずか103日で挫折。「六君子」が処刑された。

戊戌の変法光緒帝康有為西太后百日維新
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1900年

義和団事件と八カ国連合軍

「扶清滅洋」を掲げる義和団が外国人を排斥し、西太后が列強に宣戦布告。八カ国連合軍が北京を占領する前代未聞の事態に。

義和団八カ国連合扶清滅洋西太后北京占領
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1905年

科挙の廃止 ── 1300年の終焉

清が科挙制度を正式に廃止。隋の創設以来1300年にわたり中国の知識人を選抜してきた試験制度がついに幕を閉じた。

科挙廃止1300年近代教育知識人制度の終焉
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1912年

辛亥革命と清の滅亡 ── 帝制の終焉

1911年の武昌蜂起に始まる辛亥革命により、翌年2月に宣統帝(溥儀)が退位。2000年以上続いた中国の帝政が終焉し、中華民国が成立した。

辛亥革命清の滅亡溥儀帝制の終焉中華民国
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Timeline

明清 年表一覧

明清の主要な出来事50件を年代順にまとめました。

年代出来事時期故事成語
1368明の建国明の栄光
1380胡惟庸の獄明の栄光
1382錦衣衛の設置明の栄光
1398洪武帝の崩御明の栄光
1399靖難の変明の栄光
1403永楽帝の即位明の栄光
1405鄭和の大航海明の栄光
1406紫禁城の建設明の栄光
1410モンゴル親征明の栄光
1421北京遷都明の栄光
1424永楽帝崩御明の栄光
1433鄭和の最後の航海明の栄光
1449土木の変明の栄光
1457奪門の変明の衰亡
1487弘治中興明の衰亡
1510劉瑾の処刑明の衰亡
1521大礼の議明の衰亡
1550庚戌の変明の衰亡
1557マカオ租借明の衰亡
1572張居正の改革明の衰亡
1582マテオ・リッチ来華明の衰亡
1592万暦の三大征明の衰亡
1616後金建国明の衰亡
1627明末の農民反乱明の衰亡
1644明の滅亡明の衰亡
1644山海関と清の入関明の衰亡
1645薙髪令清の盛世
1661鄭成功の台湾奪還清の盛世
1673三藩の乱清の盛世
1689ネルチンスク条約清の盛世
1722康煕帝崩御清の盛世
1723雍正帝の改革清の盛世
1735乾隆帝の即位清の盛世
1757広州一港制限清の盛世
1771四庫全書清の盛世
1793マカートニー使節清の盛世
1796白蓮教の乱清の盛世
1799乾隆帝崩御清の盛世
1839アヘン没収清の衰退
1840アヘン戦争清の衰退
1842南京条約清の衰退
1851太平天国の乱清の衰退
1856アロー戦争清の衰退
1860円明園の焼き討ち清の衰退
1861洋務運動清の衰退
1894日清戦争清の衰退
1898戊戌の変法清の衰退
1900義和団事件清の衰退
1905科挙の廃止清の衰退
1912辛亥革命と清の滅亡清の衰退