漢は、紀元前202年に劉邦(高祖)が楚漢戦争に勝利して建国し、前漢(西漢)と後漢(東漢)を合わせて約400年にわたり中国を統治した王朝です。「漢民族」「漢字」「漢方」の語源となったことからもわかるように、漢は中国のアイデンティティそのものを形成した王朝といえます。
前漢では、文帝・景帝の善政「文景の治」を経て、武帝が匈奴を討伐しシルクロードを開通させるなど、空前の黄金時代を築きました。しかし外戚・王莽が皇位を簒奪して「新」を建国。赤眉の乱を経て、劉秀(光武帝)が後漢を建国し漢を復興しました。
後漢では宦官と外戚の権力闘争が激化し、黄巾の乱をきっかけに帝国は崩壊。曹操・劉備・孫権の三国鼎立の時代へと移行し、220年に曹丕への禅譲で漢は幕を閉じました。「四面楚歌」「背水の陣」「国士無双」「臥薪嘗胆」「赤壁の戦い」など、この時代から生まれた故事成語は数え切れません。
楚漢戦争と漢の建国 ── 英雄たちの時代
項羽と劉邦の4年にわたる天下争い「楚漢戦争」は、中国史上最もドラマチックな時代です。韓信・張良・蕭何の「漢の三傑」を擁した劉邦が、圧倒的な武力を誇る項羽を破って漢王朝を建国。建国後は匈奴との対決、功臣の粛清、呂后の専権と激動が続きました。
紀元前206年暗度陳倉 ── 劉邦の関中奪還作戦
漢中に封じられた劉邦は、韓信の策で桟道を焼いて油断させ、密かに陳倉から関中を急襲。「明は桟道を修し、暗は陳倉を渡る」── 楚漢戦争の幕開けとなった奇策。
彭城の戦い ── 項羽3万が劉邦56万を破る
項羽がわずか3万の精鋭で、56万の連合軍を率いる劉邦を彭城で壊滅させた。軍事史上屈指の大逆転劇であり、項羽の戦術的天才を示す戦い。
背水の陣 ── 韓信の用兵の極致
韓信が川を背にして布陣し、退路を断って兵の死力を引き出す「背水の陣」で趙の大軍を撃破。兵法の常識を逆手に取った空前の用兵術。
鴻溝の約 ── 天下二分の盟約
戦局が膠着するなか、項羽と劉邦は鴻溝(運河)を境に天下を東西に二分する和約を結んだ。しかし劉邦は張良と陳平の進言で直ちに盟約を破る。
垓下の戦いと四面楚歌
韓信の十面埋伏の計で項羽を垓下に追い詰め、四方から楚の歌を歌わせて敵軍の戦意を崩壊させた。「四面楚歌」── 中国史上最も有名な故事成語の一つ。
項羽の最期 ── 烏江の自刎
垓下を脱出した項羽は28騎にまで減りながら追手を蹴散らし、烏江で自刎した。「天の我を亡ぼすなり、戦の罪にあらず」── 覇王の壮絶な最期。
漢王朝の建国 ── 劉邦、皇帝に即位
項羽を滅ぼした劉邦が皇帝に即位し、漢王朝を建国。農民出身から天下を取った最初の皇帝であり、長安に都を定めて400年の大帝国の基礎を築いた。
白登山の囲い ── 冒頓単于との対決
匈奴の冒頓単于が40万の騎兵で劉邦を白登山に7日間包囲。陳平の策で脱出したが、以後60年にわたる屈辱的な和親政策の始まりとなった。
韓信の処刑 ── 国士無双の悲劇
「国士無双」と称えられた軍事の天才・韓信が、呂后の策略により長楽宮で処刑された。「狡兎死して走狗烹らる」── 功臣粛清の悲劇を象徴する最期。
劉邦の崩御と大風歌
劉邦は故郷の沛で「大風起こりて雲飛揚す」と歌い涙した後、長安で崩御。農民から皇帝へという空前の立身出世を遂げた英雄の最期。
呂后の専権 ── 人彘の刑と外戚支配
劉邦の死後、皇太后となった呂后が実権を掌握。ライバルの戚夫人を「人彘(人豚)」にした残虐な刑は中国史上最も凄惨な復讐として知られる。
呂氏の誅滅と文帝の即位
呂后の死後、周勃・陳平ら功臣が呂氏一族を誅滅し、代王・劉恒を擁立して文帝とした。漢王朝の危機を救い、「文景の治」への道を開いた政変。
賈誼の過秦論 ── 秦滅亡の教訓
若き天才・賈誼が『過秦論』を著し、秦が滅亡した原因を「仁義を施さなかった」ことに求めた。漢の統治理念の形成に決定的な影響を与えた政治論文。
文景の治から武帝の時代 ── 帝国の黄金期
文帝・景帝の仁政「文景の治」で国力を蓄えた漢は、武帝の時代に空前の繁栄を迎えます。匈奴を討伐し、シルクロードを開通させ、儒教を国教化し、司馬遷が『史記』を著す。漢帝国が世界に冠たる大帝国となった約80年を追います。
紀元前167年文帝の仁政 ── 肉刑の廃止と減税
文帝は孝女・緹萦(ていえい)の上書に感動し、残酷な肉刑(黥面・劓・刖)を廃止。田租を軽減し質素倹約を実践した「文景の治」の象徴的な善政。
呉楚七国の乱 ── 削藩策と中央集権の確立
景帝が晁錯の削藩策を実施すると、呉王劉濞を盟主に七国が反乱。周亜夫がわずか3ヶ月で鎮圧し、中央集権体制が決定的に確立された。
武帝の即位 ── 最強の皇帝の登場
16歳で即位した武帝は54年にわたり漢を統治し、帝国を空前の版図に拡大。中国史上最も偉大な皇帝の一人と評される武帝の時代が幕を開ける。
張騫の西域派遣 ── シルクロードの幕開け
武帝が張騫を大月氏に派遣。13年の艱難辛苦を経て帰還した張騫の報告が、東西を結ぶシルクロード開通の端緒となった。「鑿空(さっくう)」と呼ばれる偉業。
儒教の国教化 ── 董仲舒と独尊儒術
董仲舒の進言により、武帝は儒教を唯一の正統学問として採用(独尊儒術)。五経博士を設置し、以後2000年にわたる儒教国家の基盤を築いた。
馬邑の謀 ── 対匈奴攻勢の開始
武帝が60年の和親政策を破棄し、馬邑で匈奴の軍臣単于を罠にかけようとした。作戦は失敗したが、これを機に漢は匈奴への本格的な軍事攻勢に転じた。
衛青の匈奴討伐 ── オルドス奪還
奴隷出身の名将・衛青が匈奴を討ち、オルドス地方(河南の地)を奪還。朔方郡を設置し、漢の北方防衛線を大きく押し上げた。
霍去病の河西回廊制圧 ── 「匈奴未だ滅びず」
弱冠19歳の霍去病が匈奴の渾邪王を降伏させ、河西回廊を制圧。武帝が邸宅を与えようとしたとき「匈奴未だ滅びず、何を以て家と為さん」と辞退した名言。
漠北の決戦 ── 匈奴帝国の衰退
衛青と霍去病がそれぞれ5万の騎兵を率いてゴビ砂漠を越え、匈奴の本拠を直撃。匈奴は大打撃を受けて北方に撤退し、以後二度と漢を脅かす力を失った。
南越・西南夷の征服 ── 帝国版図の拡大
武帝は南越国(現在のベトナム北部)を滅ぼし、さらに西南夷(雲南・貴州)を征服。漢の版図は南方に大きく拡張され、東アジア最大の帝国となった。
太初暦の制定 ── 暦法の大改革
武帝は天文学者・落下閎らに命じて「太初暦」を制定。正月を年始とし、閏月の置き方を改良したこの暦法は、中国の暦の基本として長く使われ続けた。
司馬遷と『史記』── 李陵事件と宮刑
李陵の弁護をして武帝の怒りを買い、宮刑(去勢)に処された司馬遷。屈辱を忍んで『史記』を完成させた。中国最高の歴史書であり文学作品の誕生。
巫蠱の禍 ── 皇太子の悲劇
呪詛(巫蠱)の疑いから武帝と皇太子・劉拠が対立し、皇太子は挙兵の末に自殺。数万人が連座して処刑された漢代最大の政治的悲劇。
前漢の衰退・王莽の新・後漢の建国
武帝の死後、霍光の摂政で安定を取り戻した漢でしたが、外戚の台頭により次第に衰退。王莽が禅譲で「新」を建国するも失政で崩壊。劉秀(光武帝)が後漢を建国し、漢を復興しました。
紀元前87年武帝の崩御と霍光の摂政
54年の治世を終えた武帝が崩御。遺詔で8歳の昭帝を託された霍光が大将軍として摂政を務め、疲弊した帝国の立て直しに着手した。
昌邑王の廃位 ── 霍光の英断
昭帝崩御後に即位した昌邑王・劉賀を、霍光がわずか27日で廃位。代わりに民間に育った劉病己を擁立して宣帝とした。臣下が皇帝を廃する前例となった事件。
西域都護の設置 ── シルクロードの完成
宣帝が西域都護府を設置し、タリム盆地一帯を漢の勢力圏に組み込んだ。張騫の鑿空から約80年、シルクロードの東半分が漢の管理下に置かれた。
呼韓邪単于の入朝 ── 匈奴との和平
匈奴の呼韓邪単于が長安に赴き宣帝に臣従を誓った。150年にわたる漢匈戦争は漢の完全勝利で幕を閉じ、北方の平和が実現した歴史的瞬間。
王昭君の和親 ── 四大美女の悲劇
宮女・王昭君が匈奴の呼韓邪単于に嫁がされた。絶世の美女が異郷に嫁ぐ悲劇は後世に無数の詩歌を生み、中国四大美女の一人として語り継がれる。
前漢の衰退と外戚の台頭
成帝・哀帝の治世で外戚が権力を掌握し、漢室は急速に衰退。特に王氏一族の台頭が著しく、王莽の簒奪への道が開かれていった。
王莽の簒奪 ── 新の建国
外戚の王莽が幼帝から禅譲を受けて「新」を建国。儒教の理想に基づく復古的改革を断行したが、現実離れした政策は天下の大混乱を招いた。
赤眉の乱と緑林の乱 ── 新への反乱
王莽の失政に怒った農民たちが各地で蜂起。赤眉軍と緑林軍が二大勢力となり、新王朝を崩壊に追い込んだ。漢復興への道が開かれる。
昆陽の戦いと新の滅亡
劉秀(後の光武帝)がわずか数千の兵で王莽の42万の大軍を昆陽で撃破。この大勝利の直後、反乱軍が長安に入城し王莽は殺害された。
光武帝の即位 ── 後漢の建国
劉秀が皇帝に即位して後漢を建国。洛陽に都を定め、漢王朝を復興した。「柔道を以て天下を治む」── 文治による統一を目指した名君の登場。
天下統一の完成 ── 群雄の平定
光武帝が各地の群雄を平定し、12年をかけて天下統一を完成。公孫述を滅ぼして蜀を制圧し、漢の版図を回復した。
光武帝の内政改革 ── 柔道の治
光武帝は奴隷の解放、度田(土地台帳の整理)、尚書台の強化など内政改革を推進。武力ではなく文治で天下を治める「柔道」の政治を実践した。
後漢の盛衰と滅亡 ── 三国への道
後漢は倭の奴国との交流、班超の西域経営、蔡倫の製紙術など文明の花を咲かせる一方、宦官と外戚の権力闘争が帝国を蝕みます。黄巾の乱から董卓の専横、官渡の戦い、赤壁の戦いを経て、三国鼎立の時代へと移行しました。
57年倭の奴国の朝貢 ── 金印の謎
倭の奴国が後漢の光武帝に朝貢し、「漢委奴国王」の金印を授けられた。1784年に福岡県志賀島で発見されたこの金印は、日中交流の最古の物証。
班超の西域経営 ── 不入虎穴不得虎子
班超がわずか36人の部下で西域に赴き、匈奴の使節団を夜襲で全滅させた。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」── 31年にわたる西域経営の始まり。
竇憲の北匈奴討伐 ── 燕然山銘
大将軍・竇憲が北匈奴を壊滅的に打ち破り、燕然山(現モンゴル)に戦勝の銘を刻んだ。匈奴の西走はゲルマン民族大移動の遠因とも言われる。
甘英の大秦遠征 ── ローマへの旅
班超の部下・甘英が大秦(ローマ帝国)を目指して西方に旅立ち、ペルシア湾まで到達。ローマとの直接接触には至らなかったが、古代東西交流の象徴的事件。
蔡倫の製紙術 ── 四大発明の一つ
宦官・蔡倫が樹皮・麻・魚網などを原料とする製紙法を改良し和帝に献上。紙の普及は知識の伝播を革命的に変え、世界文明に計り知れない影響を与えた。
張衡の地動儀 ── 世界初の地震計
天文学者・張衡が世界初の地震感知器「候風地動儀」を発明。龍の口から球が落ちて蛙の口に入る仕組みで、遠方の地震を感知した驚異の科学技術。
党錮の禁 ── 知識人の弾圧
宦官と対立した清流派(知識人・官僚)が「党人」として弾圧され、政治参加を禁じられた。二度にわたる党錮の禁は、後漢の政治を決定的に腐敗させた。
黄巾の乱 ── 「蒼天已に死す」
太平道の教祖・張角が「蒼天已に死す、黄天当に立つべし」と唱えて数十万人が一斉蜂起。後漢の支配体制は根底から揺さぶられ、帝国崩壊の引き金となった。
董卓の専横 ── 洛陽の炎上
何進の誅殺後に洛陽に入った董卓が少帝を廃して献帝を擁立し、専制を布いた。反董卓連合が結成されると、洛陽を焼き払って長安に遷都する暴挙に出た。
官渡の戦い ── 曹操の台頭
曹操が兵力で圧倒的に劣勢ながら袁紹の大軍を官渡で撃破。烏巣の兵糧攻めが勝敗を決し、曹操は華北の覇者としての地位を確立した。
赤壁の戦い ── 三国鼎立の幕開け
孫権・劉備連合軍が曹操の大軍を赤壁で撃破。火計により曹操の水軍は壊滅し、中国統一の夢は潰えた。三国鼎立の時代を決定づけた歴史的大戦。
後漢の滅亡 ── 曹丕の禅譲
曹操の子・曹丕が献帝から禅譲を受けて魏を建国し、400年の漢王朝は幕を閉じた。「禅譲」という形式的な平和的政権移行は、以後の王朝交代の先例となった。
漢 年表一覧
漢の主要な出来事50件を年代順にまとめました。各出来事をクリックすると詳細ページに移動します。
| 年代 | 出来事 | 時期 | 関連する故事成語 |
|---|---|---|---|
| 前206 | 暗度陳倉 | 楚漢戦争 | 暗度陳倉 |
| 前205 | 彭城の戦い | 楚漢戦争 | — |
| 前204 | 背水の陣 | 楚漢戦争 | 背水の陣 |
| 前203 | 鴻溝の約 | 楚漢戦争 | — |
| 前202 | 垓下の戦いと四面楚歌 | 楚漢戦争 | 四面楚歌 |
| 前202 | 項羽の最期 | 楚漢戦争 | 覇王別姫 |
| 前202 | 漢王朝の建国 | 楚漢戦争 | — |
| 前200 | 白登山の囲い | 楚漢戦争 | — |
| 前196 | 韓信の処刑 | 楚漢戦争 | 国士無双 |
| 前195 | 劉邦の崩御 | 楚漢戦争 | 大風歌 |
| 前188 | 呂后の専権 | 楚漢戦争 | — |
| 前180 | 呂氏の誅滅 | 楚漢戦争 | — |
| 前177 | 賈誼の過秦論 | 楚漢戦争 | — |
| 前167 | 文帝の仁政 | 武帝の時代 | — |
| 前154 | 呉楚七国の乱 | 武帝の時代 | — |
| 前141 | 武帝の即位 | 武帝の時代 | — |
| 前139 | 張騫の西域派遣 | 武帝の時代 | 鑿空 |
| 前136 | 儒教の国教化 | 武帝の時代 | 独尊儒術 |
| 前133 | 馬邑の謀 | 武帝の時代 | — |
| 前127 | 衛青の匈奴討伐 | 武帝の時代 | — |
| 前121 | 霍去病の河西回廊制圧 | 武帝の時代 | 匈奴未滅 |
| 前119 | 漠北の決戦 | 武帝の時代 | — |
| 前111 | 南越・西南夷の征服 | 武帝の時代 | — |
| 前104 | 太初暦の制定 | 武帝の時代 | — |
| 前99 | 司馬遷と『史記』 | 武帝の時代 | — |
| 前91 | 巫蠱の禍 | 武帝の時代 | — |
| 前87 | 武帝の崩御 | 前漢末と新 | — |
| 前74 | 昌邑王の廃位 | 前漢末と新 | — |
| 前60 | 西域都護の設置 | 前漢末と新 | — |
| 前51 | 呼韓邪単于の入朝 | 前漢末と新 | — |
| 前33 | 王昭君の和親 | 前漢末と新 | — |
| 前7 | 前漢の衰退 | 前漢末と新 | — |
| 8 | 王莽の簒奪 | 前漢末と新 | — |
| 17 | 赤眉の乱 | 前漢末と新 | — |
| 23 | 昆陽の戦い | 前漢末と新 | — |
| 25 | 後漢の建国 | 前漢末と新 | — |
| 36 | 天下統一の完成 | 前漢末と新 | — |
| 40 | 光武帝の内政改革 | 前漢末と新 | — |
| 57 | 倭の奴国の朝貢 | 後漢の盛衰 | — |
| 73 | 班超の西域経営 | 後漢の盛衰 | 不入虎穴 |
| 89 | 竇憲の北匈奴討伐 | 後漢の盛衰 | — |
| 97 | 甘英の大秦遠征 | 後漢の盛衰 | — |
| 105 | 蔡倫の製紙術 | 後漢の盛衰 | — |
| 132 | 張衡の地動儀 | 後漢の盛衰 | — |
| 166 | 党錮の禁 | 後漢の盛衰 | — |
| 184 | 黄巾の乱 | 後漢の盛衰 | 蒼天已死 |
| 189 | 董卓の専横 | 後漢の盛衰 | — |
| 200 | 官渡の戦い | 後漢の盛衰 | — |
| 208 | 赤壁の戦い | 後漢の盛衰 | 赤壁 |
| 220 | 後漢の滅亡 | 後漢の盛衰 | — |