隴を得て蜀を望む〜人の欲に終わりなし、光武帝が自嘲した名言

故事成語

「せっかく目標を達成したのに、すぐに次のものが欲しくなってしまう」——そんな経験はありませんか。人間の欲には、なかなか終わりがないものです。今回は、そんな人間の性(さが)をズバリと言い当てた故事成語「隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)」をご紹介します。

「隴を得て蜀を望む」の意味

「隴を得て蜀を望む」とは、ひとつの望みを叶えると、さらに次の望みが出てきて、人の欲望にはきりがないということを表した言葉です。読み方は「ろうをえてしょくをのぞむ」。「隴」も「蜀」も、古代中国の地名です。

「隴」は現在の甘粛(かんしゅく)省のあたり、「蜀」は現在の四川(しせん)省のあたりを指します。隴という土地を手に入れたら、今度は隣の蜀まで欲しくなった——つまり「ひとつ手に入れると、もっと欲しくなる」という人間の欲深さを表しているわけですね。

使われ方には、ふたつの側面があります。

  • 否定的な意味:欲が深い、満足を知らない、という戒めとして使う
  • 肯定的な意味:向上心が強く、次々と高い目標を目指す姿勢をたたえる

もともとは「欲張り」を戒める文脈で生まれた言葉ですが、現代ではビジネスの成長意欲を表す前向きな表現として使われることも増えています。ちなみに「望蜀(ぼうしょく)」と短く言うこともあります。

故事成語ができた経緯・歴史

この言葉が生まれたのは、今から約2000年前の中国・後漢(ごかん)の時代です。舞台となったのは、後漢の初代皇帝である光武帝(こうぶてい)・劉秀(りゅうしゅう)が、天下統一を進めていた頃のことでした。

当時、中国の大部分を平定した光武帝でしたが、西の辺境にはまだ従わない勢力が残っていました。それが、隴の地(甘粛省)を治める隗囂(かいごう)と、蜀の地(四川省)を治める公孫述(こうそんじゅつ)のふたりです。

西暦32年、光武帝は自ら軍を率いて隴を攻めました。しかし戦いは長引き、首都・洛陽での政務も気がかりです。そこで光武帝は、現地で指揮を執る将軍・岑彭(しんほう)に手紙を残して、都へ帰ることにしました。

その手紙にこう書かれていたのです。「隴を平定したら、そのまま南の蜀を攻めよ。人というものは満足を知らないものだな。隴を手に入れると、また蜀が欲しくなる」。自分自身の欲深さを、少し自嘲(じちょう)気味に語ったこの一文が、そのまま故事成語になりました。

面白いのは、この言葉を言った光武帝が、実際に隴も蜀も平定してしまったこと。西暦34年に隴を、西暦36年に蜀を制圧し、ついに天下統一を成し遂げました。「欲張り」を自嘲しながら、その欲をきちんと結果に変えたわけです。

なお、同じ言葉を三国志の英雄・曹操(そうそう)も使っています。漢中(かんちゅう)を手に入れた際、部下から「この勢いで蜀も攻めましょう」と勧められた曹操は、「人は足るを知らず。既に隴を得て、また蜀を望むか」と言って、あえて進軍を止めたと伝わります。同じ言葉でも、光武帝は「だから進め」、曹操は「だからやめておこう」と、正反対の判断に使ったのが興味深いところですね。

ビジネスシーンでの使い方(例文3つ)

ビジネスの現場では、「際限のない要求への戸惑い」を表す場面と、「尽きない向上心」をたたえる場面の両方で使えます。具体的な例文を3つ見てみましょう。

例文1:クライアントの追加要望に対して(否定的な使い方)

「ご要望のA機能は無事にリリースできましたが、今度はB機能もという話になりまして。隴を得て蜀を望む、といったところでしょうか。予算と納期の再調整をお願いしたいところです」

例文2:経営者の成長意欲について(肯定的な使い方)

「社長は県内シェア1位を取った翌月には、もう関東進出の話をされていました。隴を得て蜀を望むという言葉そのままの、素晴らしい向上心だと思います」

例文3:自戒として使う場合

「補助金が採択され、設備投資も一段落しました。ここで隴を得て蜀を望むことなく、まずは今の体制を固めることに集中したいと思います」

目上の方や取引先に対して使うときは、相手の欲深さを指摘する形にならないよう注意しましょう。自分や自社について使うか、相手をほめる文脈で使うのが安全です。

原文の出典

  • 書名:『後漢書(ごかんじょ)』岑彭伝(しんほうでん)
  • 編者:范曄(はんよう/5世紀・南朝宋の歴史家)
  • 関連書:『三国志』魏書・武帝紀 裴松之注(曹操の逸話)

原文

人苦不知足、既平隴、復望蜀。每一發兵、頭鬚為白。

読み下し文

人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげ、復(ま)た蜀を望む。一たび兵を発する毎に、頭鬚(とうしゅ)為に白し。

現代語訳

人というものは、満足を知らないことに苦しむものだ。すでに隴を平定したのに、また蜀まで欲しくなる。ひとたび兵を動かすたびに、頭も髭(ひげ)も白くなる思いだ。

最後の「兵を出すたびに髪も髭も白くなる」という一文が、なんとも人間味がありますね。天下統一を目前にした皇帝でさえ、戦を起こすことには心をすり減らしていた。単なる「欲張り」の話ではなく、それでも前に進まねばならない指導者の葛藤が込められた言葉なのです。

まとめ

「隴を得て蜀を望む」は、ひとつ手に入れるとまた次が欲しくなる、人間の尽きない欲を表した故事成語です。戒めとしても、向上心のたとえとしても使える、ふところの深い言葉といえるでしょう。

大切なのは、光武帝のように欲を成果へつなげるのか、曹操のようにあえて立ち止まるのか、その見極めではないでしょうか。次の目標が見えたとき、ぜひこの言葉を思い出してみてください。

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