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第43番
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり
権中納言敦忠(藤原敦忠)

現代語訳

あなたと実際に逢って愛し合った後の、この切ない思いに比べれば、逢う前に恋い焦がれていたのは、物思いのうちにも入らなかったのだなあ。

語句の意味

逢ひ見ての ――「逢ひ見る」は「実際に逢って契りを結ぶ」の意。平安時代の恋愛において「逢ふ」は男女が共寝することを含意する。

のちの心に ――「逢った後の心(気持ち)に」の意。逢瀬の後に一層募る恋心を指す。

くらぶれば ――「比べてみると」の意。比較を示す已然形+接続助詞「ば」。

昔はものを ――「昔は」は逢う以前のこと。「ものを思ふ」は恋に悩むこと。

思はざりけり ――「思はず」の連用形+過去の助動詞「けり」。「物思いなどしていなかったのだなあ」という詠嘆。

歌の解説

この歌は、恋人と実際に逢瀬を遂げた後の激しい恋心を詠んだものです。逢う前にも恋しいと思っていたけれど、実際に逢ってしまった今の苦しみに比べれば、あの頃の思いなど取るに足りないものだったと気づいた、という内容です。

平安時代の貴族社会における恋愛は、まず文(手紙)のやり取りから始まりました。男性は女性の噂を聞き、和歌を贈って思いを伝えます。女性からの返歌を受け取り、何度かの文通を経てようやく逢瀬に至るのが通例でした。この歌の「昔」とは、まだ文通の段階であった頃を指しています。

「逢ひ見て」の後に恋心が深まるというのは、一見矛盾するようにも思えます。しかし、実際に逢うことで相手の存在がより鮮明に心に刻まれ、次にいつ逢えるかわからない不安や、逢えない時間の苦しみが一層募るのは、恋愛の真理を突いた表現と言えるでしょう。想像の中の恋と、実体験を伴った恋とでは、その深さがまるで異なることを、この歌は見事に捉えています。

詞書によると、この歌は女性に初めて逢った翌朝に贈った「後朝(きぬぎぬ)の歌」であるとされています。後朝の歌とは、逢瀬の翌朝に男性が女性のもとへ贈る歌のことで、平安時代の恋愛作法における重要な慣習でした。別れた直後の切なさと、再び逢いたいという願いが凝縮された一首です。

「昔はものを思はざりけり」の結句は、一種の誇張表現ですが、それだけに恋の深さを強烈に印象づけます。実際には逢う前も思い悩んでいたはずなのに、今の苦しさの前ではそれすら「何でもなかった」と感じてしまう。恋の段階が深まるにつれて苦しみも深まるという、恋愛の本質を鮮やかに描いた秀歌です。

作者について

権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ、906年〜943年)は、藤原敦忠とも呼ばれる平安時代中期の公卿・歌人です。三十六歌仙の一人に数えられます。父は左大臣・藤原時平、母は在原業平の孫にあたる人物です。和歌だけでなく管弦(音楽)にも秀でた風流人として知られていました。官位は正四位下・権中納言。若くして38歳で亡くなりましたが、多くの恋愛遍歴を持つ情熱的な人物であったと伝えられています。右大臣・藤原師輔の娘との恋愛など、華やかな恋の逸話が残っています。

修辞・表現技法

対比 ――「逢ひ見てののちの心」と「昔」を対比させ、逢う前と逢った後の恋心の深さの違いを鮮明に描いています。この対比が歌の核心であり、恋の深化を印象的に表現しています。

詠嘆 ――「けり」は気づきの詠嘆を表す助動詞で、「〜だったのだなあ」という深い感慨を示します。逢瀬を経て初めて気づいた恋の深さへの驚きが込められています。

誇張法 ――逢う前にも恋心はあったはずですが、「思はざりけり(物思いなどしていなかった)」と言い切ることで、現在の恋心の激しさを極限まで強調しています。

鑑賞のポイント

この歌の魅力は、恋愛における普遍的な心理を端的に捉えている点にあります。「逢ってしまったがゆえに、かえって苦しみが増す」という逆説的な真理は、時代を超えて多くの人の共感を呼びます。後朝の歌という性格上、昨夜の逢瀬の余韻と別れの切なさがそのまま詠み込まれており、感情の生々しさが伝わってきます。父・藤原時平から受け継いだ情熱的な血筋と、祖母方の在原業平の歌才が融合した、色好みの貴公子にふさわしい一首として味わってみてください。