現代語訳
語句の意味
契りきな ――「契る」は約束する、誓うの意。「き」は過去の助動詞、「な」は念押しの終助詞。「約束したではないか」と相手に強く訴えかける表現。
かたみに ――「互いに」の意。「片身に」ではなく「交互に」の意味。
袖をしぼりつつ ――涙で濡れた袖を絞ること。「つつ」は反復・継続を表す接続助詞で、涙を流し続けた様子を示す。
末の松山 ――陸奥国(現在の宮城県多賀城市付近)にある歌枕。「波が越すことのないもの」の象徴として古くから用いられた。
波こさじとは ――「こさじ」は「越す」の未然形+打消意志の助動詞「じ」。「波が越すまい=心変わりすまい」の意。
歌の解説
この歌は、心変わりした恋人に対して、かつて交わした永遠の愛の誓いを思い出させ、恨みと悲しみを訴える一首です。『後拾遺和歌集』の詞書によれば、「心変はりて侍りける女に」(心変わりした女に)詠んだ歌とされています。
上の句では、かつて二人で涙を流しながら固く愛を誓い合った場面を回想しています。「契りきな」の「な」が念押しの終助詞であることから、「たしかに約束したよね」「覚えているだろう」という強い語調が感じられます。お互いに袖を絞るほど涙を流したという描写は、その誓いがいかに切実で真剣なものであったかを物語っています。
下の句では、「末の松山を波が越すことがないように」という古歌の典拠を引きながら、二人の愛も永遠に変わらないと誓ったことを改めて示しています。「末の松山」は、東北の歌枕として古くから「絶対に変わらないもの」の象徴でした。『古今和歌集』の「君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ」という東歌がその原拠で、もし心変わりするようなことがあれば、あり得ないはずの波が末の松山を越えてしまうだろう、という発想です。
この歌の巧みさは、直接的に相手を非難するのではなく、過去の誓いの美しさと厳粛さを描くことで、裏切りの重さを暗に示している点にあります。読者は、あれほど真剣に誓い合ったのに心変わりされた作者の深い悲しみと怒りを感じ取ることができます。恋の誓いの儚さと人の心の移ろいやすさを、歌枕の持つ永遠性と対比させた秀歌です。
作者について
清原元輔(きよはらのもとすけ、908年〜990年)は、平安時代中期の歌人で、三十六歌仙の一人です。清原深養父(百人一首36番)の孫にあたり、清少納言の父としても広く知られています。梨壺の五人の一人として『後撰和歌集』の撰者を務め、また『万葉集』の訓読にも携わりました。官位は従五位上・肥後守。滑稽な逸話の多い人物としても知られ、賀茂祭の見物中に馬から落ちた話などが伝えられています。歌人としては、感情豊かで力強い作風が特徴です。
修辞・表現技法
歌枕 ――「末の松山」は陸奥国の歌枕で、波が越えることのない高い松山を指します。「変わらないもの」「あり得ないこと」の象徴として、多くの歌に詠まれてきた名所です。
本歌取り ――『古今和歌集』東歌の「君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ」を踏まえています。本歌の表現を取り入れることで、誓いの重さを読者に印象づけています。
縁語 ――「袖をしぼる」「波」「越す」は水に関連する縁語で、涙と波のイメージが重なり合い、歌に統一感を与えています。
倒置法 ――「末の松山 波こさじとは」が「契りきな」にかかる倒置となっており、過去の誓いを強調する効果を生んでいます。
鑑賞のポイント
「契りきな」の冒頭の一語が、この歌全体の語調を決定づけています。念押しの「な」によって、相手に対する強い訴えかけと、裏切られた者の悲痛な叫びが感じられます。末の松山という歌枕を用いることで、「絶対に変わらない」という誓いの重さを効果的に表現し、それが破られたことの衝撃を際立たせています。清少納言の父である元輔が、このような情熱的な恋歌を残していることも、作品鑑賞の興味深い視点となるでしょう。