現代語訳
語句の意味
「契りおきし」――「約束しておいた」の意。「契る」は約束する・誓うこと。「おき」は事前にしておく意味の補助動詞です。
「させもが露を」――「させも」はさしも草(ヨモギ)のこと。清水観音の歌「なほ頼め しめぢが原の させも草 わが世の中に あらむ限りは」(私を頼りなさい)を踏まえており、忠通が基俊に引いて約束した言葉を指しています。「露」ははかないもの、恩恵のたとえです。
「命にて」――「命として・命の頼りとして」の意。それを生きる支えとしてきたことを表します。
「あはれ」――感嘆・哀れみを表す間投詞。「ああ」という嘆きの気持ちです。
「秋もいぬめり」――「秋も去ってしまうようだ」の意。「いぬ」は「去る・過ぎ去る」の意で、「めり」は推量の助動詞です。維摩会の講師の選定が秋に行われることに関わっています。
歌の解説
この歌は、千載和歌集(巻十六・雑上)に収められた歌です。藤原基俊が息子の光覚を興福寺の維摩会の講師に選んでもらうよう、当時の摂政・藤原忠通(76番歌の作者)に頼んでいたのに、何年経っても実現しないことを嘆いて詠んだ歌です。
忠通は基俊の頼みに対して、清水観音の歌「なほ頼め しめぢが原の させも草 わが世の中に あらむ限りは」を引いて、「私を頼りにしなさい」と約束しました。基俊はこの約束を「させもが露」として心の支えにしてきたのですが、維摩会の講師の選定が行われる秋がまた過ぎようとしているのに、息子は選ばれないままでした。
この歌の深さは、単なる恨み言にとどまらない点にあります。「させもが露」という表現には、頼みにしていた約束が露のようにはかなく消えてしまうという意味が込められています。露は朝になれば消える、はかないものの象徴です。約束を「露」にたとえることで、その約束がいかに頼りないものであったかを暗示しています。
「あはれ」という感嘆詞が下の句の冒頭に置かれることで、深い嘆息が聞こえてくるような効果を生んでいます。そして「今年の秋も」の「も」には、去年も一昨年も同じように期待を裏切られてきたという、積年の失望が凝縮されています。繰り返される期待と落胆の歳月が、このわずかな助詞一つに込められているのです。
作者について
藤原基俊(1060-1142年)は、平安時代後期の歌人です。藤原道長の曾孫にあたりますが、官位には恵まれず、従五位上左衛門佐にとどまりました。しかし歌人としては高い評価を受け、歌壇において大きな影響力を持ちました。
保守的な歌風を重んじ、革新的な源俊頼(74番歌の作者)とは歌の理念をめぐって対立しました。基俊は古典的な歌風の護持者として「基俊派」を形成し、俊頼の「俊頼派」と並ぶ歌壇の二大勢力の一方を担いました。この対立は、後の藤原俊成・藤原定家の時代まで影響を及ぼしています。
修辞・表現技法
本歌取り――清水観音の「なほ頼め しめぢが原の させも草」を踏まえた本歌取りで、忠通の約束と、その約束が果たされない嘆きを重ねています。
比喩――「させもが露」で約束を露にたとえ、そのはかなさを暗示しています。
掛詞――「秋」と「飽き」の掛詞が潜んでおり、季節の秋と、忠通が約束に飽きてしまったことを暗示しているとも解釈できます。
鑑賞のポイント
この歌を深く味わうには、背景にある人間関係と社会的な文脈を知ることが大切です。息子の立身出世を願う父の切実さ、権力者の空約束、そして何年も裏切られ続ける失望感が、この三十一文字に凝縮されています。
「今年の秋も」の「も」という一文字に、毎年繰り返される期待と失望の重みを感じ取ってください。平安貴族の社会において、縁故や後ろ盾がいかに重要であったか、そしてそれが得られない者の苦しみが切々と伝わってくる一首です。