現代語訳
語句の意味
「音に聞く」――「噂に聞いている」「評判に聞く」の意。「音」は噂・評判を意味します。
「高師の浜」――現在の大阪府堺市から高石市にかけての海岸。歌枕として知られる名所です。
「あだ波」――「あだ」は「はかない・いたずらな・不誠実な」の意。むなしく打ち寄せる波のことで、浮気な言葉の比喩です。
「かけじや」――「かけまい」の意。「かく」は「心にかける」で、「じ」は打消しの意志、「や」は詠嘆を表します。波を「かける(かぶる)」意味との掛詞でもあります。
「ぬれもこそすれ」――「濡れてしまうと困る」の意。「もこそ…すれ」は懸念・心配を表す構文です。波に濡れることと、涙で袖が濡れることの両方を掛けています。
歌の解説
この歌は、金葉和歌集(巻九・恋)に収められた恋の歌です。歌合の席で、藤原俊忠が「音に聞く高師の浜のはま松も世のあだ波はかけぬものから」と詠んだのに対する返歌として詠まれました。俊忠の歌が「高師の浜の松のように世間の浮気な噂は気にしない」という内容だったのに対し、紀伊はその「あだ波」の比喩を巧みに受け取り、「あなたのそういう浮気な言葉は心にかけないでおきましょう。涙で袖が濡れてしまっては困りますもの」と切り返したのです。
この歌の魅力は、何といってもその機知に富んだ応答にあります。相手の歌の言葉をそのまま利用して、見事にかわすという高い技巧が光ります。表面上は相手の言い寄りを拒絶しているように見えますが、「袖が濡れる」つまり「涙を流す」ことを心配するという表現には、完全に無関心ではいられないという微妙な感情も含まれています。拒絶しながらも、どこか色気のある返しになっている点が、宮廷歌人としての紀伊の力量を示しています。
高師の浜という歌枕を用いて波のイメージを展開し、波が袖にかかる(言い寄りを気にかける)、濡れる(涙を流す)という連想を重ねる構成は、平安時代の歌合における即興的な才知の高さを物語っています。この歌は、恋の駆け引きにおける女性の聡明さと、歌の技巧の両方を堪能できる一首です。
作者について
祐子内親王家紀伊(生没年未詳)は、平安時代後期の女流歌人です。後朱雀天皇の第三皇女である祐子内親王に仕えた女房で、「紀伊」はその出自に由来する女房名です。歌合の名手として知られ、後拾遺和歌集や金葉和歌集に歌が入集しています。
特に歌合の場での即興的な歌の才能に優れ、この72番歌のような機知に富んだ返歌は、彼女の歌の力量をよく示しています。当時すでに高齢であったとされますが、若い男性歌人の歌に巧みに応じる姿が印象的な歌人です。
修辞・表現技法
掛詞――「かけじ」は、波を「かける(かぶる)」と心に「かける(気にする)」の掛詞です。また「ぬれ」も、波に「濡れる」と涙に「濡れる」の掛詞になっています。
縁語――「浜」「あだ波」「かけ」「ぬれ」と、海や波に関連する縁語が歌全体に散りばめられ、統一的なイメージを作り出しています。
比喩――「あだ波」を浮気な言葉の比喩として用い、自然の情景と恋の駆け引きを重ね合わせています。
鑑賞のポイント
この歌は、歌合の場での返歌であるという背景を知るとより深く味わえます。相手の歌から「高師の浜」「あだ波」というモチーフを受け取り、それを逆手に取って返す機転の鮮やかさに注目しましょう。
また、拒絶と受容のあいだを漂う微妙な心理にも着目してください。「かけじ」(気にしまい)と言いながらも、「ぬれもこそすれ」(涙で袖が濡れるかもしれない)と心配することで、完全な拒絶ではない含みを持たせている点が、この歌の奥深さです。