現代語訳
語句の意味
夜をこめて ―― まだ夜が深いうちに、夜のまだ明けないうちに、という意味。
鳥のそら音は ―― 鶏の偽の鳴き声。「そら音」は嘘の声、偽りの音のこと。中国の故事「函谷関の鶏鳴」を踏まえている。
はかるとも ―― だまそうとしても、たくらもうとしても、という意味。
よに ―― 「世に」で「決して」という強い否定の意味を表す副詞。また「夜に」との掛詞ともとれる。
逢坂の関 ―― 山城国と近江国の境にあった関所。「逢ふ」という言葉を掛けて、男女が逢うことの比喩として用いられる歌枕。
ゆるさじ ―― 「許すまい」「通すまい」の意。「じ」は打消意志の助動詞で、強い拒絶を示す。
歌の解説
この歌は、清少納言と藤原行成との機知に富んだやり取りの中で生まれた一首です。ある夜、行成が清少納言のもとを訪れていましたが、「鶏の声が聞こえたので」と言って早々に帰ってしまいました。翌日、清少納言が「あれは函谷関の鶏の声(偽の鳴き声)だったのでは」とからかうと、行成は「あれは逢坂の関だったのです」と、男女の逢瀬を暗示する返しをしました。
それに対して清少納言が詠んだのがこの歌です。中国の故事では、孟嘗君が秦から逃げる際、部下に鶏の鳴き真似をさせて函谷関を開けさせたと伝えられています。清少納言はこの故事を巧みに引用しつつ、「たとえ鶏の偽の鳴き声で函谷関は騙せたとしても、この逢坂の関(=私の心)は決して開きませんよ」と、才気煥発な拒絶を示しています。
この歌は単なる恋の拒絶にとどまらず、漢籍の教養を背景にした知的な応酬であり、清少納言の博識と機転の鋭さが遺憾なく発揮されています。宮廷サロンにおける文学的遊戯の粋を感じさせる歌で、清少納言らしい聡明さと気品に満ちた一首と言えるでしょう。『枕草子』にもこのエピソードが記されており、当時の宮廷文化の華やかさを伝えています。
作者について
清少納言(せいしょうなごん、966年頃〜1025年頃)は、平安時代中期を代表する女流文学者です。父は歌人の清原元輔(百人一首42番の作者)で、曾祖父は清原深養父(百人一首36番の作者)という歌の名門に生まれました。一条天皇の中宮定子に仕え、宮中での見聞や感想を綴った随筆『枕草子』の作者として広く知られています。
『枕草子』は日本三大随筆の一つに数えられ、鋭い観察眼と明快な文体で知られる名作です。清少納言は機知に富んだ会話や漢学の教養でも知られ、同時代の紫式部とはライバル的な存在として語られることも多い人物です。
修辞・表現技法
掛詞 ―― 「逢坂」の「逢ふ」に男女が逢うことを掛けています。また「よに」は「世に(決して)」と「夜に」の掛詞です。
本歌取り・故事の引用 ―― 中国の「函谷関の鶏鳴」の故事を踏まえた上で、それを日本の歌枕「逢坂の関」に置き換えるという、漢学と和歌の教養を融合させた高度な技法を用いています。
比喩 ―― 「逢坂の関」は男女の逢瀬の関門の比喩であり、「鳥のそら音」は相手の巧みな口実の比喩として機能しています。
鑑賞のポイント
この歌を十分に味わうためには、背景にある藤原行成とのやり取りと、函谷関の鶏鳴の故事を知ることが重要です。清少納言は単に恋を拒んでいるのではなく、知的な言葉の応酬を楽しんでいます。行成の「逢坂の関」という巧みな返しに対して、さらにその上を行く歌で応じたわけです。
拒絶の歌でありながら嫌味がなく、むしろ優雅で洗練された印象を受けるのは、清少納言の教養と人柄のなせる業でしょう。平安宮廷の文化的な豊かさを象徴する一首として、高く評価されています。