現代語訳
語句の意味
「これやこの」――「これがまさにあの」という意味の感動的な指示表現です。「や」は詠嘆の間投助詞で、噂に聞いていたものを実際に目の当たりにした驚きと感慨を表しています。
「行くも帰るも」――「行く人も帰る人も」の意味。都から東国へ向かう人も、東国から都へ戻る人も、という対句表現です。「も」は並列を表す係助詞です。
「別れては」――「別れて」に接続助詞「は」がついた形で、「別れてはまた会い」という繰り返しの意味合いを含みます。出会いと別れが絶えず繰り返されるさまを表現しています。
「知るも知らぬも」――「知っている人も知らない人も」という意味。顔見知りの人も、まったく見ず知らずの人も、すべての人が、という対句表現です。
「逢坂の関」――現在の滋賀県大津市と京都府の境にあった関所です。東海道・東山道の要衝で、都と東国を結ぶ交通の要所でした。「逢坂」には「逢う」の意味が掛けられており、人が出会う場所としての象徴性を持っています。
歌の解説
この歌は、逢坂の関を舞台に、人々の出会いと別れが絶え間なく繰り返されるさまを詠んだ一首です。後撰和歌集(巻十五・雑一・1089番)に収録されています。一見すると逢坂の関の賑わいを描写した素朴な歌に見えますが、その奥には人の世の無常と、人生における出会いと別れの本質に対する深い洞察が込められています。
逢坂の関は、古代において山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の境に設けられた関所であり、都と東国を行き来するすべての旅人が必ず通過する場所でした。この歌では、その関所を通り過ぎていく無数の人々の姿を大きな視点から捉えています。行く人、帰る人、知っている人、知らない人――あらゆる人がこの一つの場所で交差し、別れ、そしてまた出会います。
歌の構造に注目すると、「行くも帰るも」「知るも知らぬも」という二組の対句が用いられ、対照的な要素を並べることで、あらゆる人間を包括する普遍性が生まれています。方向の対比(行く/帰る)と関係性の対比(知る/知らぬ)を組み合わせることで、この関を通る人々が例外なくすべて含まれることを強調しているのです。
また、「逢坂の関」という地名に「逢う」という意味が掛けられている点も重要です。別れの場所であると同時に出会いの場所でもあるという逆説が、人生の本質を映し出しています。私たちの人生もまた、出会いと別れの繰り返しであり、その営みは遥かな昔から変わることなく続いているのです。
蝉丸が盲目の琵琶法師として逢坂山に庵を結んでいたという伝承を踏まえると、この歌はさらに深い味わいを持ちます。関所のそばに住み、日々通り過ぎていく人々の足音や声を聴きながら、人の世の移ろいを感じ取っていた蝉丸の姿が浮かんできます。自分はその場に留まりながら、行き交う人々の無数の人生を見つめ続けるという視点は、静かでありながら壮大なスケールを感じさせます。
作者について
蝉丸(せみまる)は、平安時代前期の歌人・音楽家とされていますが、その生涯については伝説的な要素が多く、実像は謎に包まれています。生没年も不詳です。
伝承によれば、蝉丸は盲目の琵琶の名手であり、逢坂山に庵を結んで暮らしていたとされています。宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色(ぞうしき)であったとも、醍醐天皇の第四皇子であったともいわれますが、確かなことはわかっていません。
後世には芸能の神として信仰を集め、逢坂山にある関蝉丸神社に祀られています。能「蝉丸」では、盲目ゆえに逢坂山に捨てられた皇子として描かれ、姉の逆髪との再会と別れという悲劇的な物語が展開されます。琵琶の名手としての伝説は、琵琶法師たちの間で特に敬われ、芸道の祖として長く崇敬されてきました。実在の人物像が不明であるがゆえに、かえって日本文化の中で豊かな伝説と信仰を生み出した、稀有な存在と言えるでしょう。
修辞・表現技法
対句(ついく)――「行くも帰るも」「知るも知らぬも」という二組の対句が歌の中心をなしています。相反する要素を並列することで、あらゆる人間を漏れなく含む全体性を表現し、歌に力強いリズムと広がりを与えています。
掛詞(かけことば)――「逢坂」の「逢う」が掛詞として機能しています。地名でありながら「逢う(出会う)」という意味を含み、別れと出会いが繰り返される場所としての象徴性を強めています。
体言止め――「逢坂の関」という体言(名詞)で歌を結ぶことで、余韻が生まれ、読み手に感慨をもたらす効果があります。眼前に広がる逢坂の関の情景が、読後も心に残り続けるような印象を与えています。
倒置法――「これやこの」と冒頭で感嘆を示し、その正体を最後の「逢坂の関」で明かすという構成は、一種の倒置法です。読み手の期待を引きつけ、結句で感動を収束させる効果を生んでいます。
鑑賞のポイント
この歌の魅力は、まず何よりもそのリズムの良さにあります。「行くも帰るも」「知るも知らぬも」という対句のたたみかけが心地よく、声に出して読むと、関所を行き交う人々の賑わいが耳に聞こえてくるような躍動感があります。百人一首かるたでも暗記しやすい歌として親しまれています。
また、この歌が持つ普遍性にも注目しましょう。逢坂の関は千年以上前の場所ですが、人が出会い、別れ、また出会うという営みは、時代を超えて変わりません。駅や空港、交差点など、現代の私たちの暮らしの中にも「逢坂の関」は存在しています。
蝉丸という伝説的な人物が詠んだという点も、鑑賞の大きなポイントです。盲目の琵琶法師が、視覚ではなく心の目で捉えた人の世の真実が、この歌には凝縮されています。目に見えるものではなく、人の世の本質を見通す深い洞察力が、この歌を千年を超える名歌たらしめているのです。