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第14番
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに
乱れそめにし われならなくに
河原左大臣(源融)

現代語訳

陸奥の信夫の里で作られるもぢずりの乱れ模様のように、私の心は乱れ始めてしまった。いったい誰のせいでこうなったのか――ほかでもない、あなたのせいなのに、私のせいではないのに。

語句の意味

みちのくの ── 陸奥国(むつのくに)のこと。現在の東北地方にあたります。「みちのく」は「道の奥」が転じたもの。

しのぶもぢずり ── 信夫(しのぶ)地方(現在の福島県福島市)で生産された摺り染めの布のこと。石の上に布を置き、忍草(しのぶぐさ)などの葉を摺りつけて不規則な乱れ模様を出す染色技法で作られました。

誰ゆゑに ── 誰のせいで、誰のために。「ゆゑ」は原因・理由を表します。反語的な表現で、「あなたのせいで」という意味を暗示しています。

乱れそめにし ── 乱れ始めてしまった。「そめ」は「初め」で、乱れ始めたことを意味します。「にし」は完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去の助動詞「き」の連体形「し」。

われならなくに ── 私ではないのに。「なくに」は打消しの接続助詞で、「〜ではないのに」という意味。心が乱れたのは自分のせいではなく、相手のせいだと訴えています。

歌の解説

この歌は、恋する相手のせいで心が乱れてしまったと訴える恋歌です。上の句で陸奥の信夫もぢずりという染め物の乱れ模様を持ち出し、それを自分の乱れた心の比喩として用いるという、非常に技巧的な構成を持っています。

「しのぶもぢずり」の乱れ模様は、規則性のない複雑な文様で、それが恋に乱れる心の状態にぴったり重なります。しかもこの「しのぶ」には、地名の「信夫」と、恋を「忍ぶ」という意味の掛詞が含まれており、人に知られないように恋の思いを忍んでいるという心情も暗示されています。

下の句「誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」は、心が乱れ始めたのは自分のせいではなく、相手のせいだという訴えです。「誰ゆゑに」という問いかけは、実際には答えがわかっている反語であり、「ほかならぬあなたのせいで」という気持ちを婉曲に伝えています。「われならなくに」と結ぶことで、恋の苦しみの責任を相手に転嫁しつつも、どこか甘えるような、切なくもいじらしい感情が表現されています。

この歌は『古今和歌集』恋四に収められています。恋の苦悩を直接的に嘆くのではなく、陸奥の染め物という具体的で美しいイメージに託して表現する手法は、平安時代の歌人たちの洗練された感性を示しています。上の句の視覚的な美しさと下の句の切実な感情の対比が、この歌の完成度を高めています。

なお、この歌は伊勢物語の初段にも引用されており、若い男が美しい姉妹に一目惚れして贈った歌として登場します。伊勢物語では在原業平の歌とされることもありますが、百人一首では河原左大臣(源融)の作として採られています。

作者について

河原左大臣(かわらのさだいじん)こと源融(みなもとのとおる、822年〜895年)は、嵯峨天皇の第十二皇子で、臣籍降下して源氏の姓を賜りました。左大臣にまで昇り、京都の鴨川のほとりの六条河原に壮大な邸宅「河原院」を構えたことから「河原左大臣」と呼ばれました。

源融は風雅を愛する文化人として知られ、河原院には陸奥の塩竈の浦の風景を模した庭園を造り、わざわざ難波から海水を運ばせて塩焼きの風情を楽しんだと伝えられています。また、宇治にも別荘を持ち、その跡地にのちに平等院が建てられました。

紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされることでも有名です。皇子でありながら臣下に下り、優雅な暮らしを送り、恋多き人生を過ごしたという点が光源氏と重なるとされます。寛平七年(895年)に74歳で没しました。

修辞・表現技法

序詞 ── 「みちのくの しのぶもぢずり」が「乱れ」を導く序詞となっています。もぢずりの乱れ模様から、心の乱れへと自然に繋がります。

掛詞 ── 「しのぶ」に地名の「信夫」と動詞の「忍ぶ」(恋を忍ぶ)が掛けられています。また「そめ」には「染め」(染色)と「初め」(始める)の意味が掛けられています。

縁語 ── 「もぢずり」「乱れ」「染め」が染色に関する縁語として響き合い、上の句と下の句を有機的に結びつけています。

反語 ── 「誰ゆゑに」は形の上では疑問ですが、実質的には「あなたのせいで」という反語的表現になっています。

鑑賞のポイント

この歌の最大の鑑賞ポイントは、幾重にも重なる掛詞と縁語の技巧です。「しのぶ」「もぢずり」「乱れ」「そめ」といった言葉が、染色の世界と恋の感情の世界を同時に描き出しており、一首の中に二重の意味世界が存在しています。技巧が目立つ歌でありながら、下の句の「われならなくに」の嘆きに真実の感情が込められており、技巧と情感のバランスが絶妙です。

また、「誰ゆゑに」と問いかけながら答えを言わないところに、恋歌ならではの余韻があります。相手を責めるでもなく、自分を卑下するでもなく、ただ心が乱れていく現実を受け入れながらも、どうしようもない恋の苦しさを吐露する――その微妙な心理が三十一文字の中に凝縮されています。