印刷術は、人類が知識を記録し伝達する方法を根本的に変えた技術です。中国では唐代にすでに木版印刷が実用化されていましたが、北宋の仁宗期(1040年代)に畢昇(ひっしょう)という平民の発明家が、個々の文字を独立した活字として作り、自由に組み替えて版を構成するという画期的な方法── 膠泥活版印刷── を発明しました。
畢昇の発明に関する唯一の文献記録は、同時代の博物学者・沈括(しんかつ、1031-1095年)の著書『夢渓筆談』に残されています。沈括は畢昇の活字の製作法と印刷の手順を詳細に記録しており、この記述が活版印刷の起源を証明する最も重要な史料となっています。
木版印刷が一冊の本につき一組の版木を必要としたのに対し、活版印刷では活字を組み替えることで無限の書物を印刷できるという原理的な優位性がありました。この発明は、知識が少数の特権階級から広範な読書人層へと広がる「知識の民主化」の嚆矢であり、宋代の豊かな出版文化を支える技術的基盤となったのです。
印刷の前史 ── 木版印刷の発展と限界
中国における印刷技術の歴史は、紙と墨という二つの先行技術なしには語れません。後漢の蔡倫が105年に改良した製紙法と、古くから発達していた墨の技術が、印刷術の基盤を形成していました。初期の印刷は、石碑に刻まれた文字に紙を当てて墨で写し取る「拓本」の技法から発展したと考えられています。
唐代後期(8-9世紀)には、木の板に文字を反転して彫り、インクを塗って紙を押し付ける木版印刷(雕版印刷)が確立されました。868年に制作された『金剛般若経』の巻子本が、年代の確定できる世界最古の印刷物として知られています。五代十国時代には後蜀の宰相・毋昭裔が「九経」(儒教の九つの経典)を木版印刷し、学問の普及に大きく貢献しました。
しかし木版印刷には根本的な問題がありました。一冊の本を印刷するためには、その本の全ページ分の版木を一枚一枚手彫りしなければなりません。大部な書物の場合、版木の数は数百枚に達し、彫刻に数年を要することもありました。また、版木は一度彫ると修正が困難で、誤字があれば版木全体を作り直す必要がありました。保管場所も膨大に必要で、版木が虫食いや湿気で劣化すれば再び彫り直さなければなりませんでした。
木版印刷の功績と限界
木版印刷は中国の知的文化に絶大な貢献をしました。唐代の仏教経典の大量印刷、五代の儒教経典の印刷、そして宋代の膨大な書籍出版── これらはすべて木版印刷の成果です。しかしその本質は「固定された版」であり、一度彫った版木はその本だけにしか使えません。異なる本を印刷するには、まったく新しい版木を最初から彫る必要がありました。この「柔軟性の欠如」こそ、畢昇が克服しようとした課題でした。活版印刷は、固定から可動への転換という、概念的に画期的な跳躍だったのです。
畢昇 ── 無名の革命家
畢昇について、沈括の『夢渓筆談』以外にはほとんど記録が残されていません。沈括は畢昇を「布衣」(平民)と記しており、官僚でも学者でもない、おそらく印刷業に従事する職人であったと推測されています。生没年も正確にはわかっていませんが、仁宗の慶暦年間(1041-1048年)に活版印刷を発明したことが、沈括の記述から判明しています。
畢昇の社会的地位は低く、科挙の合格者でも著名な学者でもなかったため、正史にその名は記されていません。しかし彼の発明は、印刷技術の歴史における最大の概念的革新でした。一つ一つの文字を独立した活字として扱い、自由に組み合わせて任意のテキストを構成する── この「可動活字」(movable type)の原理は、以後のすべての活字印刷技術の根幹となるものです。
1990年、湖北省英山県で「畢昇之墓」と刻まれた墓碑が発見されました。碑文によれば畢昇は「湖北路蘄州蘄水県の人」で、仁宗の皇祐年間(1049-1054年頃)に没したとされています。ただし、この墓碑の真偽については学術的な議論が続いています。いずれにせよ、畢昇は中国史上最も偉大な技術革新者の一人でありながら、その生涯のほとんどが歴史の闇に埋もれたままとなっています。
膠泥活版印刷の技術 ── その精巧な仕組み
畢昇の活版印刷は、次のような工程で行われました。まず膠泥(粘土の一種)を薄く切り、一文字ずつ凸字を刻みます。活字の厚さは「銭の縁」ほど(約2-3ミリ)で、これを窯で焼いて硬化させます。印刷時には鉄板の上に松脂・蝋・紙灰を混ぜた接着剤を塗り、鉄の枠を置いてその中に活字を隙間なく並べます。
活字を並べ終えたら、鉄板を火で温めて接着剤を溶かし、平らな板で上から押さえて活字の高さを均一に揃えます。接着剤が冷えて固まれば版が完成し、通常の木版印刷と同様にインクを塗って紙に刷ることができました。印刷が終われば再び鉄板を火にかけて接着剤を溶かし、活字を取り外して再利用しました。
効率化のため、畢昇は二組の鉄板を用意し、一方で印刷している間にもう一方で次の版を組むという「二組交替制」を採用していました。また頻出する文字は複数個の活字を作り、「之」「也」のような極めてよく使われる文字は20個以上を用意していたと沈括は記しています。使用しない活字は紙のラベルを貼った木の棚に韻の順に整理して収納し、必要な文字をすぐに取り出せるようにしていました。
なぜ膠泥だったのか ── 材料選択の知恵
畢昇がなぜ木ではなく膠泥を活字の素材に選んだのか── 沈括はその理由も記しています。木の活字は木目の粗密によりインクの吸収が不均一になり、また接着剤と密着しすぎて版から外しにくいという問題がありました。膠泥(焼成粘土)はインクの乗りが均一で、接着剤との分離も容易でした。さらに彫刻も木より精密にできるという利点がありました。ただし耐久性では木に劣り、大量印刷では摩耗が問題となりました。この課題は、後世の金属活字の開発によって克服されることになります。
活字技術の展開 ── 陶器から金属へ
畢昇の膠泥活字は、その後さまざまな素材で改良が試みられました。南宋から元代にかけて、木活字と錫活字が登場します。元代の農学者・王禎(おうてい)は1298年に木活字を改良し、回転式の活字棚(転輪排字架)を考案しました。これは円形の棚に活字を並べ、必要な文字を回転させて手早く取り出せるようにした装置で、中国語の膨大な漢字を効率的に扱うための工夫でした。
金属活字の登場は、活版印刷の次なる飛躍を意味しました。朝鮮では高麗時代(13世紀)に銅活字が開発され、朝鮮王朝の世宗大王(在位1418-1450年)の時代には国家事業として金属活字による印刷が大規模に行われました。中国でも明代に銅活字が使われるようになり、清代の雍正帝の時代には25万個以上の銅活字で『古今図書集成』が印刷されています。
しかし、中国と東アジアの活版印刷には本質的な課題がありました。中国語の漢字は数千字に及び、常用される文字だけでも3000-5000字が必要です。これに対し、アルファベット系の言語はわずか数十文字で済むため、活字の管理と植字の効率が桁違いに高くなります。このため、中国では活版印刷が木版印刷を完全に置き換えることはなく、大量印刷では依然として木版が主流であり続けました。活版印刷が真に花開いたのは、アルファベットという少数文字体系を持つヨーロッパにおいてでした。
畢昇とグーテンベルク ── 東西の活版印刷
畢昇(1040年代)とグーテンベルク(1450年頃)の発明には約400年の時間差がありますが、両者には重要な相違があります。畢昇の膠泥活字は陶器製で手動の植字でしたが、グーテンベルクは鋳造による精密な金属活字、油性インク、そしてワイン圧搾機から着想を得た印刷機を組み合わせた統合的なシステムを開発しました。さらにアルファベットの少ない文字数と相まって、グーテンベルク印刷は爆発的な普及を見せました。畢昇が「原理」を発明し、グーテンベルクが「システム」を完成させたと表現することもできるでしょう。
宋代の出版文化 ── 知識の大衆化
宋代は中国史上最も出版が盛んな時代でした。木版印刷の発達と活版印刷の発明を背景に、書籍の生産量は飛躍的に増大し、知識が士大夫階級を超えて広範な社会層に浸透しました。科挙の拡大も書籍需要を押し上げ、受験用のテキスト・参考書・模範解答集が大量に出版されました。
宋代の出版には大きく三つの種類がありました。第一に「官刻」── 朝廷が国家事業として行う印刷で、正史・類書・医書・法律書などが対象でした。第二に「私刻」── 個人や書院が行う印刷で、文集・詩集・哲学書などが中心でした。第三に「坊刻」── 民間の書肆(本屋兼出版社)が商業的に行う印刷で、通俗小説・暦・占い本・実用書など幅広いジャンルをカバーしていました。
特に杭州・建陽(福建省)・成都は宋代の三大出版地として知られ、建陽の書坊は安価な書籍の大量生産で全国に流通網を築きました。宋代の書籍文化は、朱子学の普及、歴史書の編纂、詩詞の流行など、この時代の知的営みのすべてを支える基盤となりました。印刷技術の発展なくして、宋代の燦然たる文化的繁栄はあり得なかったのです。
活版印刷 関連年表
| 年代 | 出来事 | 備考 |
|---|---|---|
| 105年 | 蔡倫が製紙法を改良 | 印刷技術の基盤 |
| 7世紀 | 木版印刷の萌芽 | 唐代初期 |
| 868年 | 『金剛般若経』の印刷 | 現存最古の年代入り印刷物 |
| 932-953年 | 五代で「九経」の木版印刷 | 儒教経典の大規模印刷 |
| 1041-1048年 | 畢昇が膠泥活版印刷を発明 | 慶暦年間 |
| 1080年代 | 沈括が『夢渓筆談』で活版印刷を記録 | 唯一の文献記録 |
| 1234年 | 高麗で金属活字の使用 | 朝鮮半島への伝播 |
| 1298年 | 王禎が木活字と転輪排字架を考案 | 活字管理の効率化 |
| 1450年頃 | グーテンベルクの金属活版印刷 | ヨーロッパの印刷革命 |
| 1726年 | 清で銅活字による『古今図書集成』印刷 | 25万個以上の銅活字 |